LIKE AN EMPTY HAND GRABBING NOTHING








エメラルド

 不自然なノイズがつづいている。じりじりという振動。耳の中に機械虫でもつめこまれたような気持ちの悪さに、アレンはたまらず音声器をはずした。雑音が、さまざまな国の音声ニュースといっしょに遠ざかる。目を閉じてじっと不快感をこらえていると、目のまえに座った青年がかれのつまさきを靴の先で軽く蹴った。気を引くためのしぐさかとも思ったが、まさか、一等の客室にそんな無作法なことをする人間がいるとは思えない。ただ当たってしまっただけだろうと無視していると、今度はもう少しつよく靴先を当てられたので、かれはあきれながらも目をあけて応えないわけにはいかなくなった。
「あんた、だいじょうぶ?」
 わざわざ自分までヘッドホンをはずす青年に、心配するくらいならほうっておいてくれればいいのに、と心から思った。シャトルの中で平衡感覚を保つための装置をはずして平気なわけがない。耳の中の雑音は消えたが、もともとこういう場所が苦手なアレンはあたまがくらくらして仕方がなかった。今はだれとも話をする気にはなれない。さらに気分の悪いことに、青年はヘッドホンをはずしても顔色ひとつかえなかった。そういう感覚にうとい人間なのかもしれないが、今のかれはそれを見るだけでも胸がむかついた。
「顔が蒼いぜ。気分がわるいならヘッドホンをつけろよ」
 アレンは吐き気をこらえながら、ほんのかすかに首をふった。たったそれだけでも気持ちが悪い。しかし、あのノイズを聞く気にもなれなかった。すこしでも楽になりたくて目を閉じると、しばらくしてすぐ近くに青年の気配を感じた。大気圏をこえてもしばらくははずせないはずの安全ベルトを、どのようにしてすりぬけたのか知らないが、目を開けると、青年はもうかれのとなりの空席に腰をおろしていた。
「壊れているのか? なんなら、オレのを貸そうか」
 かれはもういちど首をふった。ため息をつく相手は、アレンに無理やり音声器をつけさせる気はないらしく、輪のかたちをした機械をくるくると指にかけてまわしながら、かれの顔をのぞきこんだ。
「じゃあ、なに? あんたほんとうに具合が悪そうだぜ」
「・・・・ノイズが、」
 アレンはそれだけ言って、また目を閉じた。伝わったかどうかはわからない。しかし、それ以上言葉を発する気にもなれずに、目を閉じたまま口をつぐんだ。しかたねえな、と青年のつぶやく声が聞こえる。違和感。言葉が宙にただよっている。青年の言葉が、とつぜん理解できない言語のように耳慣れなく聞こえた。耳元で何かを言われて、アレンが目を開けると、青年は断りもなくかれの額にふれ、もう一度同じ言葉をかれになげた。
「楽になっただろって聞いたんさ、な、どう?」
 そんなわけ、と言おうとして、かれは吐き気がおさまっていることに気がついた。驚いて見上げると、青年はかれの額から手をはなして笑いながら人差し指を唇にあてる。
「貸してやるよ。でも秘密な」
 アレンは青年に言われ、自分の首に右手でふれた。いつの間につけられたのか、そこには鎖がかけられている。首にちょうどおさまる形で、かれはそのひやりと冷たいヘッドにふれた。手にふれる形は薔薇のように薄いくぼみがいくつもかさなり、文字が刻まれた紋章だった。中心にはなめらかな鉱石がついている。
「はずすなよ。また平衡がくずれる」
「でも、きみは?」
「いいよ。オレはこういうところ慣れてっから」
 青年はそれだけ言うと、じゃあね、と言ってもとの席にもどった。安全ベルトの装着サインがいつの間にか消えていた。青年はクラークから黒いスーツケースを取り出し、中からいまどきめずらしい革張りの本を出して音声器をつけた。20ヶ星語放送の惑星ニュースを重なったままの音声で流しながら、手元の文献に目を通している。ヘッドホンからもれて聞こえる音声がしんしんと無音の室内に響いた。

 アレンはブラインドをあけて二千万光年はなれたとなりの星座を数えながら、星の爆発が首都にとどくまでにどれほどの時間がかかるかを予測した。ふた月先の妹のバースデイに、彼女が花火を見たいというものだから、いまのうちに準備をしておかなければならないのだ。といっても誕生日は"器"のはなしだから、かれらにとってそれほど重要な意味はもたない。げんに、彼女は誕生日と称して年に3回はかれを首都に呼びつけて面倒なプレゼントをねだっていた。
 ため息をつくと、ふいに、つまさきに靴がふれてくる。青年がこちらを見て、大丈夫かと口を動かした。かれはうなづく。ヘッドホンをしていれば音声マイクをつかったが、肉声では言葉が届かないだろう。そこまで考えて、かれは先ほど感じた妙な違和感の理由に思いいたった。そういえば、最近はずいぶん遠いところへ出かけていて、ヘッドホンの翻訳機能にばかりたよっていた。青年のことばはところどころ恒星訛りだったが、首都の公用語だった。ノイズなしの肉声を聞くのはずいぶんとひさしぶりだ。アレンがうなづいたのを見て、青年は満足げに笑うとそれきりまた視線を手元に落とした。
 アレンはもう一度、首にかけられた鎖のヘッドに指でふれた。薔薇十字の紋章。かれはいつものくせで唇をかるくなめた。
 三恒星をめぐって首都ヴァチカンにもどるシャトルはクリスマス休暇で混雑しているはずなのだが、6人がけのそのコンパートメントにはかれら以外の客は乗りあわせていなかった。満席のはずの客室にどうして4つも空席があるのか、青年は不思議に思っただろうか。伯爵からの招待状には要人以外の暗殺は控えるようにと書いてあったが、そんなことを言うくらいなら迎えをよこすべきだった。だいたい、こんなふうに無駄に人間を残しておくのも、来たるべき瞬間にひとつでも飾りが多いほうがツリーのこわしがいがあるという、公の気まぐれにすぎないのだ。
 無音の部屋に細かな音声が重なってふりつもる。靴先でかれは青年のブーツを蹴った。顔をあげた男にたずねる。
「ねえ、このペンダントの、鉱石の色はなに?」
 緑色以外なら、鉱石のかわりにこわした男の瞳を持って、妹の誕生日プレゼントにあげようと思った。エメラルドの花火が見たいと、彼女がしつこくねだっていたものだから。










人形少女

 バースデイプレゼントだといって姉が贈ってよこしたのは、彼女が大切にしているコレクションドールのひとつだった。棺桶のような細長い木箱に入れられ、傷がつかないように花びらが詰めこまれている。あけたとたんにジャスミンの香が部屋中にひろがり、かれはそれにむせながら中をのぞいた。中身は漆黒の髪に瞳という、東洋風の顔立ちの少女だった。見覚えがある。西洋人形を好む姉が、めずらしく手に入れた東方のおもちゃだった。彼女が自分の持ち物を贈るなどということもめずらしく、もしかしていやがらせかもしれないと、かれは添えられたカードに書かれていた彼女の新しい屋敷に、すぐに連絡を入れた。姉から弟への手紙は年に2、3度、気まぐれに届いていたが、おなじ名前で届いたことは一度もない。かれのすぐ上の兄などは、彼女の器がいつか国中の貴族の男を喰いつくすに違いないと言ってよく笑っていた。
「いったい、これはどうしたの?」
 短いあいさつのあとにそう問うと、かれの姉は少しだけその声に機嫌の悪さをにじませてこたえた。
「なあに、あなたはわたしの贈ってあげたお人形が気に入らないの」
 その声に、かれはあわてて違うと言った。姉の機嫌は春先の天気みたいなもので、あでやかに花が咲いたかと思えば空が曇って雪がふる。そして一度そこねると、どんな嫌がらせをされるかかれにも見当がつかなかった。
「ただ僕、姉さんの大事なお人形をもらっていいのかな、と思ったものだから」
 おずおずと、かれは言った。
「あら、いいのよ。あなたの誕生日だもの」
「その・・・・なにか、理由が? 誕生日ということ以外に」
「あなた、わたしのことを、やっぱり勘違いしてるのね。あなたの屋敷に似合うと思ってあげたのだけれど。いいわ、気に入らないのなら、料理番にするなり好きに使ってこわしなさい。でもわたし、そのお人形はめずらしく好いた顔立ちなの。それをこわすのだから、あなたそれなりの覚悟があって?」
 嵐の予感を読みとって、アレンはすばやく受話器を置いた。こうなるともう人にわたすわけにもいかないし、どんなことがおこるにせよ、ここに置いておくほかなかった。かれはまだ贈られてきたままの木箱に花びらとともに詰まっている人形を呼んで言った。
「ねえ、きみ名前は」
「リナリー」
「何ができるの?」
「なんでもあなたの望むことを」
 アレンはため息をついて椅子にこしかけ、テーブルの足を蹴飛ばした。上にのっていたバラの花瓶がごとりと音をたてて倒れ、そのまま床に転がって真紅の絨毯を黒くぬらした。顔をしかめたかれが銀色の鈴を二度ならすと、老婆を模した人形がノックをして部屋に入ってきた。かれがぬれた床を示すと、そのまま音もたてずにいそいそと散らばった花びらをひろって去る。
「この屋敷は大きいけれど、じゅうぶん人形は足りてるんだ。それに、僕はきみみたいな容姿のいいのはきらいだよ」
 人形は立ち上がって箱から出ると、何も言わずにつっ立ったまま、細いジャスミンの花弁をはらはらと床に落とした。かれはそれをながめながら、こみ上げてくる気持ちの悪さに口元をおさえた。大丈夫、と人形が問う。近づいてくる漆黒の少女を、かれは手をふって追いはらった。
「近づかないで、きみ、まだ死体臭いよ」
 立ち止まった人形から顔をそむけて、かれは重く息をはいた。目を閉じてもしばらくは、人形の肩に張りついたゴーストの影がちらついている。男だ。彼女の恋人、それとも兄だろうか。愛した少女を呪いながら、居もしないかれらの神に叫喚する。かれはもう一度顔をあげて彼女を見た。漆黒のドレスには雪のように白い花弁が舞っていた。
「気持ちが悪いよ、きみたちは。きれいな器をかぶって、ドレスや花の匂いでごまかしたって、中身はただの腐った死骸なんじゃないか」
 人形はまるで人のように傷ついた表情で、握りしめていた十字架の鎖を絨毯に落とした。ぼそり、とへんな音がしたそれを見つめて、彼女は不思議そうに首をかしげる。どうしてそんなものをにぎっていたのか、忘れてしまったに違いない。










星を砕く

 青年は闇にむかって悪態をついたが、それはかれに向けた言葉だったのかもしれない。首からどくどくと血がながれているので、うえを向いたままあたまを動かすことができないのだった。
「畜生め、」
 青年がもう一度つぶやいたので、かれは、おかしいなあ、と思いながらもうすでに致死量をこえているはずの出血をみて首をひねった。たしかに脈を切ったので、いくら頑丈でもそろそろ動かなくなっていいはずだ。だいたい、即死のはずの人間が悪態をつくのもなんだかおかしな話だった。どうなるものかと思いながら見ていると、そのうちに、これもさっきは肩からもげそうにぶらさがっていたうでがもぞもぞと動くので、かれは驚くのを通りこしてあきれながら青年の右手をながめた。
「うわあ、気味が悪い」
 思わず声をあげると、青年がするどい眼光で闇をにらんだ。それでもやはり、首はうごかないらしい。すうすうと、首のあなから息をこぼして、それはきっと死ぬよりつらいにちがいないので、思ったよりはやく片の付いてしまったかれは、ひまつぶしにしばらく観察することにした。青年はあいかわらず闇をにらみつけていたが、やがてかれが止めを刺さないことに気がついたらしく、息の合い間にほとんど音にならない声でかれに言った。
「殺さねえのか」
「きみこそはやく死んだらどう?」
 ぐっと青年は息をのみ、せきをくりかえして大量の血をはいた。ひょっとしたら、ゾンビのように起き上がって切りつけてくるくらいはするかと思ったのだが、どうやらいままではただの強がりだったらしい。
「なんだ、きみ死ぬの、」
 なかなか返ってこない青年の答えを待ちながら、アレンは大きなあくびをした。それでうえを向いて気がついたのだが、暗闇だと思っていた空には星がひとつだけひかっていたのだ。へえ、とアレンは小さくつぶやいた。青年がまだ希望を見ていたことに驚いて。










迷子

 浜辺には男がひとり横たわっていた。空を見あげてなにごとかをつぶやき、その半身を水にさらしている。服はやぶけ、血と水と藻にからまって一見すると死体のようだったが、そうなるにはまだ少し時間があった。男の傍には木片がいくつも散らばって干からびている。半年まえ航海に出た船は、予定の日が過ぎても港にたどりつくことはなかった。沖に出て連絡が途絶え、三月がすぎたという。それはずっと遠い港で聞いた話だったが、アレンはなんとなくそのことを思い出した。興味本位でそばに近づき、その顔をのぞきこむ。男はしわのよった唇で不細工に笑んだ。アレンのことには気づいたようだが、幻とでも思ったのかもしれなかった。
「こんにちは」
 アレンは言った。この極東の浜辺で、干からびかけた人間を相手に会釈をする滑稽さ。かれは唇をゆがめてなんとか笑いをかみ殺した。
「そこに倒れているあなた、どうやらお困りのようですが」
「ああ、坊ちゃん。じつは困っているのです」
 男は演技めいた口調でアレンにこたえた。引き裂かれた赤鼻のピエロ。アレンはそう考えてまた笑いそうになった。けれど男の鼻が赤いのは、この日当たりのよすぎる浜辺にずっと寝そべっていたからだ。
「僕でよければ聞きましょう」
 もっとも聞いてみるだけだけれど、と思いながらアレンは言った。
「はあ、じつは船が難破いたしまして」 男がこたえた。
「難破ですか。でもたすかってよかったですね」
「はい幸運でした。けれど、足をわるくしてしまって、失くしたものをさがしに行くことができないのです」
「なるほど。いったい何をさがしに行きたいのですか」
 アレンが聞くと、男は右手をほんのすこし動かして、にぎりしめていたものをかれに見せた。
「なんです、それ」
「手袋」
「てぶくろ、」
「この手袋につながっていた、息子をさがしにいきたいのです。たしかにしっかりとにぎりしめていたはずが、気づくともぬけの空でした」
「ずいぶんと大きな手袋だったんですねえ」
「これがないと、あの子が困るのです。いまも泣いているんじゃないかと、心配で」
「それは困りましたね」
「ええ、坊ちゃん」
 アレンはうしろをふりかえった。いままで歩いてきた浜辺の道をしばらく見つめ、男の手にした手袋を見やる。
「たぶん僕、知っています。あなたの子供のいるところ」
「ほんとうですか、それはどこです」
 かれはにこりと微笑んで、人さし指をうえにむけた。
「ああ・・・、やはり」
 男はため息をついて言った。
「ではやはり、わたしひとりがここで迷ってしまったらしい」
「そのようです」
 男はしばらくのあいだ、ああとかううとかうめいていたが、やがてぎらぎらとひかる茶色の眼球でアレンを見つめ、かれの手をつかもうと指先をうごかした。それはアレンをかすりもしなかったのだけれども。
「ああ、坊ちゃん」
 男はうめきながらアレンを呼んだ。かれはそろそろこのみすぼらしい男に厭きはじめていた。
「なんです。じつは僕、先を急ぐんです」
「ああ、そんなことを言わないでください。どうかわたしを息子のところへつれて行ってください」
「僕には無理だ」
「いいえ、あなたはそのために来たはずです。どうかわたしをつれて行ってください」
 やはり、男はアレンを幻かなにかと勘違いしていた。アレンはそれがわかって、もうすっかりこの男に嫌気がさしてしまったのだが、なぜか男のそばをはなれることができなかった。
「僕は天使でもなければ死神でもないんです」 と、アレンは言った。
「ではどうして、」 と、男はひどくおどろいたような表情でアレンにたずねた。「どうしてそんな顔をして、わたしのまえにあらわれるんです?」
「そんな顔って、これはただの器ですから、僕には選ぶことなんかできないんです」
「しかし坊ちゃん、その顔は、わたしがさがしている息子のものですよ」
「え、」
「そんなに似通った顔が、この世に二つあるとも思えない。だからわたしは、ようやくあの子がやってきて、わたしをみつけてくれたのだと思ったのに」

 アレンはとつぜんひどい吐き気におそわれて、はじかれるように、そのまま数歩あとずさった。男の顔がぬれているので涙をながしているのかと思ったが、よくみるとそれは海水に顔がさらわれただけだった。アレンは腰をかがめると、海にむかって嘔吐した。一見すると男は死体のようだったが、それは真実ただの水死体で、もうずいぶんまえに干からびていたのだった。












 かれの口からこぼれた血液はほろほろと砂に落ち、白い灰をしずかにぬらして染めあげた。血液は水のようにあとからあとからあふれ出て、それを見てかれはぼんやりと、人にはこんなに水があったものか、とかんがえた。まったく、器のもろいことといったらない。そろそろこれを捨てて出て行くべきなのだと思ったが、どうやらそのちからさえ使いはたしてしまったようだった。もっとも、終焉はすぐそこだ。かれに立ち上がるちからが残っていたとしても、地平線まで灰で埋もれたこの大地に、未練などあるはずもなかった。
 それにしてもこの水は、ふつうの真水と違い、どうしてこうも土の中に溶けていかないのだろうか。自分から流れた水が土と灰のくぼ地に水溜りをつくり、かれはそこにおぼれそうだった。うごければすぐにでもうごきたいが、手足が持ちあがらないのでどうにもならない。こぽり、といやな音がして、いっそう多く血を吐いた。気がつくと、すでに灰の色は白ではなかった。かれはほそく息をはいた。これからもう一度戻るのだ。次に会う彼のところへ。しかしもう、彼は自分のことを覚えてはいまい。
「ら、」

 すべてがなくなる前日、兄弟よりさきに発つ。かなしい恋をしたのだけれど、なんと言うのだったかもう忘れてしまった。










プロローグ

 ひとつの星が銀河のはてでぷつりとはじけた。緑色の発光は、伝説になったころ静かに消える。ある夜、船の上で星の光がひとつ消えていくのをかれは見た。何億年前か、あるいは遠い未来のある日にかれは星をひとつつぶして花火をつくった。妹への誕生日プレゼントだったのだが、どんなふうにそれを見せたのか、かれはもうおぼえていない。「あのエメラルドはきれいだったねえ」と、ロードが話した。それを船の上で聞いたのだ。
 かれはもう長いこと、この船に乗っていた。生という岸辺をめぐる、ノアという名の一隻の船。おなじところをくりかえしめぐり、無限のかなたへついたものだと思ったら、そこははじまりにすぎないのだ。生はくりかえしてくるくるとめぐる。ある仮想の街、世界。おわりはなく、はじまりもなく、順序すらきまっていない。
 ひとつの岸辺にたどりついたかれらは、"うつわ"を手に入れて四散した。

 航海の最中に、かれはひとり船の上から落とされた。眠っているうちにふり落とされ、目をさますとかれは砂漠のまんなかに寝そべっていた。あかい陽がじりじりと肌をやく。目にうつるのは、青と、ただどこまでもつらなるオレンジの砂丘ばかりである。途方にくれたかれは、だれを呼ぶべきかを失念した。
「ラ、」
 風がつよく吹いた。うもれていくかれの耳から、鼓膜をやぶって無限の砂が身体のなかに流れこむ。それはいつかかれが砕いた星のかけらだった。あるいはいつかの終末の灰。花びら。海の水。両目をつぶされて盲目になった男は、見えないはずの星座の星をかぞえていた。
 ああ、なにもかも聞こえると、かれはその音に耳をすます。ようやくかれは流れのなかに身をおいて、世界とともに朽ちていくことができるのだ。





 風がつよく吹いた。男は飛ばされた砂のあいまに、空をつかむようにのばされた細いうでをみつけた。深く安堵の息をつき、近づいてその手をひきあげる。名前を呼んだ。
「アレン、おい、アレン」
 男が呼ぶと、白い髪の少年はうんざりと目をあけてかれを見た。ああ、とかれの弟はうめいた。
「ああ、最悪。耳の中まで砂まみれだ」
「そのわりにはぐっすり眠っていたようじゃないか。いい夢みれた?」
 少年はすこし考えて、あきらめたように肩をすくめた。
「忘れた」
 そのあまりの執着のなさに、かれはかえって安堵しながら、少年のあたまについていた砂をはらった。航海の途中でどこかの岸辺に流れ着いた弟は、あろうことか正反対の器をかぶってかれらのまえに現れた。しかも記憶まで、腕に寄生した怪物に侵食されていたのである。見つけるまでに時間がかかりすぎていたのだ。でなければ、かれもこの弟に恨みをかってまで片腕を切り落とそうとは思わなかっただろう。
「どう、痛いところは? オレのことがだれだかわかる?」
「そんなに気をつかわなくても、腕を切り落としたことを恨んだりしないよ」
 "兄さん"、と少年はあてつけるように男を呼んだ。しっかり恨んでんじゃねえか、とかれは思う。が、それを口にするだけの勇気はなかった。この弟は兄弟のうちで、長女の次に怒らせてはならない相手だ。恨まれればどんな仕返しをされるものか、かれにも見当がつかなかった。
 つかんだままの右手を引きよせて立たせると、その身体には何事もなかったかのように左腕が戻っていた。機械の左目はさらに刻印を濃くきざみつけている。
「今度の器は、ずいぶんオプションが多いなあ」
「おかげで兄や妹にまで殺されかけた」
「オレのは公の脚本だって。ロードといっしょにすんなよ」
 ふん、と鼻をならすと、少年はかれの手をはらってさっさと砂の中を歩きはじめた。弟とともに扉へむかいながら、かれはため息をついてがしがしと自分のあたまをかきまわす。あまりのろのろと歩くので、そのうちに弟がふりかえってかれを呼んだ。器を捨てさったその目には、もう傷はついていなかった。
「はやくしてよ、ティキ。あつくて死にそうなんだ」
「・・・・なあ、オレがおまえを見つけてやったんだって、ちゃんとわかってる?」
 かれのことばを無視しながら、少年は砂漠の扉へ手をかける。部屋のなかに入るまえ、また風がつよく吹いた。砂塵ととともに少年は歩みをとめ、砂丘のつらなる赤い地平をじっとみつめる。その口が何事かをつぶやくのを、かれは見なかったことにした。

 ねえ、と少年はかれの兄をふりかえる。兄はのんびりと返事をした。
「そういえば、ロードの髪が短かったような気がしたんだけど。なんで?」
「さあね。我が家族の女性は、時代に先駆けるのがお好きなのさ」
「え、まさか姉さんまで髪を切ったの? いったいいつの19世紀とまちがえてるのさ」
「なんならおまえが聞いてみろよ。旦那の屋敷を知ってるぜ」
 うえ、と少年は行儀悪く舌をだして顔をしかめた。
「どうせまた髭面の貴族なんでしょう」
「たしかめてみろよ、案外、今は少年趣味かもしれないな」

 軽口を言いあいながらかれらが砂漠の境をこえると、砂がうず巻く風の中で黒い扉はとけるようにすがたを消した。太陽がじりじりと地平をやき、赤い砂丘と空がひろがるばかりである。








 戦場の夜、片目の青年は、遠い空に星がはじけて消えるのを見た。どこか遠い日、ひとつの歴史が終わったのだ。瓦礫に腰かけ、かれは獅子座の星を数えた。ところが、どうもおかしなことに、何度くりかえして数えても、さいごのひとつをみつけだすことができないのだった。








余話

 欲にかられて片方つぶしてしまうんじゃなかったと、アレンは今さら後悔した。隠しているくらいだからそちら側は見えないのだろうと思ったが、それでも色が違うとは考えもしなかったのだ。詐欺だ、とかれは心の中でつぶやいた。妹へのプレゼントにするはずが、エメラルドのほうをわざわざこわしてしまうなんて。かれは左目のくぼみをおさえる青年を靴先で蹴りながら、このやりきれなさをどうしたものかと考えていた。ひどすぎる。これでほんとうに星座をこわすしかなくなってしまった。あれはとても骨がおれるのに。
 手の中でだらりと形を崩したエメラルドは、いまではもう結晶体まできたない赤だ。そうだ。どうして眼球を壊したら血が流れるってことを忘れていたんだろう。あんなに美しいものをこわしてしまった後悔は、夜空の星をひとつ壊すくらいではぜんぜんたりない。まったく、なんていう馬鹿なことを。
 意地の悪いかわいい妹が、ばかだなあと笑う声が聞こえる気がした。あの子は宇宙の花火をとても楽しみにしていたから、エメラルドの星を壊すのでなければきっと納得しない。たまたまコンパートメントに乗り合わせたエクソシストは、はっとするほど美しいエメラルドの眼球の持ち主で、かれはそれを花火のかわりに妹に持ち帰ろうと思っていたのだ。ふたつのうちひとつを自分に。もうひとつを彼女に。けれど、右目の眼帯をめくってみたら、そこにはちぐはぐな色がおさまっていた。

「僕、きみの目をつぶすんじゃなかった」
 アレンは言った。エクソシストは苦しそうに、でも笑う。
「あんたはまったく、やりかたをまちがってるよ」
 アレンは反論しようとして、言える言葉がないのにいらついた。











虚空を掴む手のように
05/12/25 ノアレン企画さまに献上
06/03/25 余話追加