⇒コンビニエンス・シリーズ(2/5)


コンビニエンス (Sep 2004)




 深夜2時のコンビニエンスでアルバイトをしているその青年を、かれは半年も前から知っていた。
 ただでさえ人の少ない通りに一件だけある店で、客もその時間はひとりかふたり程度。店員は2人だが、午前2時に憂鬱そうな顔でレジスターの後ろに立つのは、銀をまぶしたような白い髪と、目元に赤く傷のついた、青白い顔の青年だ。右腕だけまくった白いシャツからのびるのは、これもまた血管の筋が見えそうなほどしろい腕で、客と並べば長身なのがわかるのに、遠くから見ていると折れそうなほど華奢に見えた。
 暗い道で、そこだけ四角く輝く店内とつまらなそうなかれは、寝静まった部屋におかれた水槽の魚をおもわせた。見せもの以外に能がないので、ともかくもあたえられた空間で息をしているといったようすだった。かれは魚でも見せものでもなかったが、明らかに国籍のちがう顔立ちと、髪と目元の傷のせいで、やってきた客に好奇の目をむけられることはよくあった。とはいえ、客をまえにした青年は笑顔に余念がなく、ていねいに話して人懐こくほほえむので、そこから死にかけた魚のような表情を想像する客はまれだった。そう、たぶん、かれのほかにはいないだろう。



 アレン・ウォーカーは、この町に越してきた半年前から、かれの住んでいるアパートの2キロ先にあるコンビニエンスで深夜のアルバイトをしていた。午後11時から明け方の5時までの6時間。店員は2人で、間に1時間の休憩が入る。
 午前3時、かれはたったひとりの客を笑顔で見送り、そのまま店の奥に引っ込んで、もうひとりの店員に交代を告げた。パイプ椅子を引っぱり出してロゴのついた上着をかけ、コーヒーメーカーの中身がほとんど空なのに舌打ちをし、缶から粉を3さじ放って、スイッチを入れてから裏口の扉を開ける。山とつまれたゴミ袋のひとつを蹴りあげて場所をつくり、転がっていたジュース缶を足元において、尻ポケットからよれた煙草の箱を取り出した。
 そして息を吸い、顔をしかめながら吐き出す。
 そこらじゅうゴミのにおいで、紫煙よりもよほど身体には有害な気がするのだ。いつでもそんな顔をして、くわえた煙草に火をつける。たちのぼる煙からはバニラの香りがするが、味は年季の入った辞書を丸めて口に入れた感じ。美味いわけではなく、身体が要求するので吸っている。もともと細いほうだったのに、吸い始めた3年前から、今年の春までに11キロ痩せた。昼のバイトの最中に倒れ、担ぎこまれた先の病院で知り合いのナースに点滴を打たれながら、1時間も説教をうけた。知り合いといってもひとまわり近く歳がはなれているので、友人というよりは姉のように接してくる。さすがにアレンもそれには懲りて、一度本数を半分にしたのに、気づいたらいつのまにもとに戻っていた。
 昨日はおとといより1キロ減った。最近、話のついでに体重を報告するのが彼女との日課になっている。お互い深夜のアルバイトで、明け方にかれが電話を入れている。昼だけでなく夜もナース(でも、こちらはもっぱらエロオヤジの世話だ) の彼女はこの街でかれがはじめに知り合った人物の愛人だ。かれと同じくこの国では外国人だが、見た目だけならわからない。話していても気づかれないことの方が多い。歓楽街で育った彼女が母親に仕込まれた日本語は、ゆるりと甘く、聞いていると変な気分になってくるので、会話はほとんど英語だった。彼女の母国語は、かれが聞いてもわからないからだ。
 ゆっくりとくゆらせながら扉にもたれて煙草を吸っていると、かれの真上にある鉄の階段を、カンカンと音を立てながらのぼっていく人物がいる。3時10分。この建物は、2階から上がアパートメントになっている。かれが休憩のはじめに一服しているとき、いつでもひとりの住人が鉄階段をのぼっていく。よく見かけるので顔も知っていた。かれに劣らず細身だが、街灯に照らされた髪の色は天然の赤毛。顔立ちが日本人でないのはわかったが、なに人かと問われると答えがたい。履きならしてかかとのすれたデニムに細身のTシャツを着ている。コンビニの袋をさげている。
 男が何を買っているのか、アレンは知らない。かれはアレンの交代と同時にいつも店にやってきていた。アレンが店の奥に声をかけたちょうどそのとき、入り口のドアがひらいて男が雑誌コーナーの前を横切る。かれはそれを、つけっぱなしのモノクロテレビごしに見ている。設置されたビデオカメラが、男を日用品のコーナーまで追っていくのを見ながら、かれはいつでも裏口の扉を開く。1本目の灰がじゅうぶん落ちたころ、頭上の階段が音をたてる。かれは鉄のすきまから、男のデニムのすりきれたところを見あげている。躊躇なく歩き去り、扉をひらく音がする。階下のコンビニに数分立ち寄るのに、わざわざ鍵をかける必要はないのだろう。そして閉じる。がちゃりと鍵をかける音を、なぜか耳をすまして聞いている。短くなった煙草を缶に落とした。水のたまっていた缶の中で、ジジ、と灰のとける音がする。
 数秒間目を閉じて、聞こえるはずのない音をきいている。あるはずのないこと。日常の壊れる音。
 その日もコーヒーメーカーが熱をふくのを見はからって、アレンは息をつき、重い扉に手をかける。はずだった。・・・・そのとき、がちゃがちゃとさっき閉じたはずの扉が、急いたようにひらかれた。ガンガンと蹴るようにおりてくる男の足音を聞きながら、アレンはおもわず微笑んだ。扉に背をあずけ、もう1本湿気た煙草をとりだしてくわえる。
 ああ、水槽の割れる音だ。



 青年が水槽の中の魚のように、退屈に殺されそうなことをしっていた。息をすることはすでにかれの意思ではなく、だれもかまわないのならかれはそれをやめるだろうということが、男にはわかっていた。
 かれは青年がのこった客を見送って奥に引っ込むのを見てから、手動扉をおしあけた。雑誌コーナーをぐるりとまわり、そのまま日用品のコーナーへむかう。3段目の棚に手をのばし、コンドームをひと箱とった。もちろん使うあてはあるが、毎日買う必要もない。だいたいにおいて、かれがゴムを使うことはほとんどない。無駄な買い物がしたいから手にとっているだけだ。階上の部屋には、ゴミ袋いっぱいに穴の開いたコンドームが入っている。店員がかれをじろりとながめる気配。毎晩コンドームを買って帰る外国人を、その店員がどう思っているか知らないが、それは男の気にすることではなかった。かれはつり銭を見ないで受け取り、小銭をポケットに放りながらビニール袋を手にとった。小さくて軽い。
 コンビニの裏手にまわり、鉄の階段をわざわざ音をたててのぼる。バニラとゴミの混ざった匂いをかぎながら、部屋のドアを開いて閉じる。鍵をかけるのと同時に、いつでもつめていた息を吐き出す。かれはゆるゆると玄関にすわりこみ、安い煙草を取り出した。口にくわえてしばらくの間、目を閉じる。ポケットに手をつっこむと、がちゃがちゃとうるさく小銭がなった。かれは眉根をよせながら、そのコインを取り出した。
「いち、にい、さん、・・・シット!やっぱりあの店員、間違えやがった!」
 くわえていた煙草をポケットにつっこみ、かれは悪態をついて立ち上がった。生活費がきびしいのだ。それでなくても、やめられない無駄な買い物をしている。ビニール袋をさげたまま、いまチェーンまでかけた鍵を、男はがちゃがちゃとうるさく開けた。





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05/10/5