コンビニエンス (Nov 2004)
*18歳未満お断り





IMAGE A

 夢の映像はいつでもリアル。現実と非現実が入りまじり、渦をまいたマーブルはやがて境界を見失う。カラフルな世界がまじりあってにごり、気づくとそこにはいつでもグレイの地平がひろがっているのだ。かれはそこをあてもなく歩いている。
 歩くたびに景色は飛ぶように加速し、灰色の雲はすじを引いてかれの後ろへ落ちていく。髪が後ろへ流れていくのに、風の音はない。しかし、無音でもない。まるでリズムを刻むように、電子音が止まらなかった。どんどん加速。音は耳鳴りのようにひろがって反響する。(ここは平原のはずなのに・・・?)
 かれはその音を知っていた。毎晩聞いている、それは、携帯の電子音だ。(それともバーコードリーダーの音?) ピ、ピ、ピ。近づく音に耳をすませる。ピピピ、ピピピ。瞬きをくりかえすたび音は分裂し、速度を増す。景色がとけ、灰色のなかで、かれはもはや自分の身体さえ失っていた。ぬめるグレイのゲルとなって、景色といっしょに深みへと落ちていく。もうだれも・・・かれ自身ですら、かれを認められはしない。――燃え立つように一瞬世界が赤くひかり、あとはすべて灰色だった。

 高く途切れない長音がひびいている。かれは目を開くと携帯の電源をオフにして、きらきら飛び散る星をながめた。映像が消え、さいごには白い自分が幽霊のようにその画面にうつっている。そのすがたに先ほどの彼女と会話を思い出し、かれは少しの間、のどの奥で笑っていた。
――彼女がほんとうは何を聞きたいのか、かれにはよくわかっている。





PART 2

 ピンクのライトが照らした浴室の中は、思ったとおりひどいありさまだった。バスタブのへりに並んでいたビンと缶は、半分が中に落ち、もう半分が外に落ちて転がっている。幸い割れているビンはなかったが、アレンの買ってきた発泡酒の缶は泡をふいて便器のとなりに落ちていた。おまけに半分ほど開いたカーテンの向こうに見えるのは足だけで、ぴくりともせず、生きているかどうかもわからない。あたまも腕も、浴槽の底に沈んでいた。それをアレンがあわてて引っぱりあげると、かれは3度ほど咳をしてから、大儀そうにアレンをみあげた。ため息をついたアレンに瞬き、たったいま気づいたようにかすれた声でなまえを呼ぶ。
「、レン」
「なに」
 不機嫌な声で返すと、ラビは一瞬ひるんで、ごまかすように手のひらで自分の顔をなでた。
「、・・・・・・あー・・サンキュ、アレン・・・・え、と。梅酒は今度来るときまでに、あたらしいの買っとくから」
「べつに僕は好きじゃないですけどね」
「う、わ・・・もしかして、すげ、怒ってる?」
「べつに、・・・・・、」
 アレンは言いかけたことばをため息といっしょに吐きだして背を向けた。そのまま、ゆるゆるとバスタブにもたれて座りこむ。うっすら溜まったピンク色の水たまりで、デニムの尻がしめっていた。床についた手が心なしかべとついている。アレンはチェリービールがきらいだ。おまけにこの一面のピンク色ときたら。
「泣くなよ、アレン」
「息してなかったらね」
 かれはべとつく手でアレンの頬をなで、耳にかかった髪の毛をかきわけて首すじを吸った。だまっていると、耳の付け根や耳たぶのうらにも、くすぐったいようなキスをしてくる。そのうちキスをすることにもあきたように、アレンが床に置いたビール瓶を持ちあげた。わかるはずがないのに、かれはそれをむせるほどのピンク色にかざして目を細めている。
「・・・・わかるの、それ」 アレンが聞くと、ぜんぜん、とこたえがあった。「アレンはわかる?」「わかるわけない」 じゃあ、とかれはふたつのうちの1本をバスタブのへりに置いて、もう1本をアレンの手に無理やりおしつけた。
「当ててみて。・・・オレはチェリーな」 アレンは、とかれは聞いた。「・・・黒生」 
 ビンの角をぶつけあうと、コツ、とにぶい音がした。アレンは床に落ちた栓ぬきをひろいあげると、それをラビにわたした。「あれ、開かない」「ちがうよ、くわえるところが反対」「え、こっちだろ」 けっきょく取りあげて、アレンが両方の栓をぬいた。あふれてきた泡といっしょにふた口飲みこんで、顔をしかめる。
「・・・シット、チェリーだ」
 ラビを見ると、かれも勢い込んで流しこみ、咳をしていた。はずれ?と聞くと、かれはせきこみながら「辛い」 と言った。そのあと、むせすぎた自分がおかしいのか、予想をはずしたことがおかしいのか、しばらく苦しそうに笑っていた。
「ファック! オレらってば間違いだらけさ!」
 かれはいきなりそうさけぶと、浴槽のうえでビンをかたむけた。ピンクに発光する液体が同じ色の湯にすいこまれていく。それをじっと見ていたラビは、ふとアレンを見て、「飲みたい?」 とにやりと笑った。
「・・・オレとどっちがいい?」
 かれはときどきそうやって質の悪い笑みをうかべる。まるで、アレンの知らない顔をして。さそわれているのに拒絶されている感覚、一瞬、アレンは自分たちのあいだに張った透明な膜(あるいは、殻)を見た。いつからあったのかもわからず、それが現れた“境い目”も見えない。
 アレンがたったいちど瞬くとそれは消えて、あとにはふたりを隔てるものは、もうバスタブのひくいへりだけだった。
「それはラビ?それとも・・・“ラビの”ってこと?」
 アレンは笑いながらこたえた。「ファック・ユー」 と、もう一度ラビが言った。「エロいさ、アレン」 かれはただ、酔っているだけなのだ。
 ラビは笑いながら親指でビンのあたまを押さえ、半分ほど残った中身を上下にふりはじめた。アレンが身構えるよりはやく、シェイクされた液体をアレンの頭めがけてぶちまける。べとつく液体に顔も服もべっとりぬれて、咳き込みながらアレンはラビをにらみつけた。
「この・・・!」
 怒りながら笑って、自分もチェリーのビンをふった。「・・・コーラのラベルまではがさないでよ!」
 ぎゃあぎゃあ騒いで顔をおおうラビの手首をつかんで、頭のうえからかれの大事なチェリービールをぶちまけた。あまりラビがあばれるので、そのうちアレンも片足をバスタブにつっこんでかれを浴槽のかどに追いつめた。ピンク色の壁に、ふたりの笑い声が反響していっそ気持ちが悪いほどだ。すっかりぬるくなった湯はすでに赤く染まっていて、バスルームはそこらじゅう、チェリーの酸味がかった匂いで満ちていた。
 アレンはデニムのままの片足を湯のなかに入れてへりに腰掛け、つかんだビール瓶のさいごの一滴を湯に落とした。ぽつり、と静まったバスルームに一滴の水音がひびいて消える。数瞬の沈黙、それに耐え切れなかった相手は、いきなりぷっとふきだすと、おかしそうに声をあげてわらった。
「ばかラビ」
 アレンはラビに向かってピンクの湯をけりあげた。相手がぎゃ、とおおげさに叫んで笑う。「服も髪もべとべとだよ」「洗えば、ここで」「僕をチェリー漬けにする気?」 アレンもこらえきれずに笑い出した。ラビがアレンの左腕を引いて、・・・そういえば、まだ手をつかんだままだった。
「来いよ、アレン」
 腕をひかれて、かれのうえにざぶりと覆いかぶさった。その勢いで、たまった湯は浴槽のそとにあふれ出て、波をたてながらアレンのシャツを胸までぬらした。からだ中がとけたゴムにでもなったようで、その気持ちの悪さに一瞬アレンは身をひきかける。ラビが耳もとでそれをわらい、ぬれた手でアレンの頭を引きよせた。耳のつけ根に音をたててキスをおとし、「アレン、」とひくく呼ぶ。「ハニー、どうしたさ? なにがかなしいの?」
「・・・・かなしいって、」
「ひとが怒るのはかなしいからなんだぜ、アレン」
 ラビはなぜか得意げにそういうと、アレンの額にキスをしてほほえんだ。アレンはおどろいて目を見開き、つぎにあきれて、最後には笑い声をたてながらかれのキスした額にふれた。
「、はは、・・・し、信じられない」
 眉をよせるラビの肩に頭をあずけて、のどの奥で笑いをかみころす。「僕が、なにを、かなしんでるって?」 しばらくかれは発作のように笑いつづけ、それがおさまると長く深いため息をついた。「ぜんぶだよ、ハニー。目が覚めてからずっと・・・、」 しかしアレンはいいかけた言葉を呑みこむと、ゆっくりと首を横にふった。深く息を吐いてから吸いこむと、鼻につくのはやはりチェリーの匂いばかりで、いまさらのように頭のうしろががんがんした。
「・・・・ごめん、ただ・・・いらいらしてて、友達にひどいことを言っただけ」
 やっとそれだけを伝えると、なにか聞いてくるかと思った相手は、ただにやりといじわるく笑った。
「それってほんとに“友達”?」
 アレンは小さく苦笑して、ラビをだきしめ、耳元を吸う。くすぐったそうに身じろぐかれの頭をつかまえて、耳元にささやいた。
「おまけに、僕のボーイフレンドは毎晩のようにバスタブでおぼれかけて、そのうえ、・・・僕はチェリー漬けにされたまま、キスもろくにしてない」
 あはは、とラビがこえをあげて笑った。アレンもふきだして、ようやくキスとよべる深さをおたがいの舌でたしかめあった。唾液も舌も、歯列すら熱く、かれののどとアレンの舌はいつの間にかおなじ皮膚でつながっている。やっと唇をはなし、ふたりのあいだに落ちた長いため息すら、おなじものだとアレンには思えた。犬のように鼻面をくっつけて笑いあう。ふいに、・・・ラビはアレンの左うでをさぐるようにつかむと、思い出したようにわらって言った。
「アレン、オレはべつに、おぼれるつもりで風呂に潜ってるわけじゃねえさ」
「・・・・じゃ、なに」
「オレは、」 と言いかけて、かれは今さらのようにアレンのシャツのボタンをはずしはじめた。上からていねいにひとつずつ、時間をかけてはだけさせると、かれは小さく肩をすくめた。
「オレは、ただ探してる。・・・・あのやっかいな、“境界”の消しかたを」
「境界?」
「そう、たとえば、自分と周りの。オレとおまえの。・・・・この部屋と、世界の」

 オレの言ってることわかる? と、ラビは苦笑してアレンに聞いた。アレンは答えることができなかった。かれは、・・・いまさらのように感じていた。ラビのつかんだ左腕。ねばついた湯を吸って重くなった服のしたに、ある、ゴムのように溶けかけた自分の赤い腕を。
 かれはたしかに、それを見ていた。




コンビニエンス・シリーズ
BACK
05/11/18