コンビニエンス (Oct 2004)
*18歳未満お断り




  午前5時をまわると交代のふたりがやってきて、眠そうな顔をしている人たちに「よろしく」と声をかける。一方はきのうと同じで、もう一方はおとといと同じだった。平日のこの時間から店に出る顔ぶれは、何ヶ月たってもほとんど変わることがない。ネームプレートはひらがななので、僕でも読めた。ファミリーネームだけのつきあいだが、毎日顔をあわせるので、この国では数少ない知り合いになるのだろう。かれらが吸う銘柄も知ってる。セブンスターとピースのライト、今日ペアだったかれはアコースティック。持ち合わせがないときにときどきもらう。
 制服のシャツをしまうロッカーの前で、もうひとりが出て行くのを待っていた。重い音がして扉がしまる。僕は息を吐いてから、ポケットの中の一本を口にくわえた。荷物を肩にかけ、外に出てから火をつける。上を向いて吐き出し、それから、アパートメントの階段をのぼっていく。錆びた鉄の階段は、静かに歩いてもうるさい音をたてるので、いっそためらわずにかけのぼることにしていた。その音で、上の住人が数人起きたかもしれないけれど。それがかれだったらいいのにといつも思う。
 2階の角部屋のドアには、どこのホテルから持ってきたのか、"Make up room" のプレートがかかっている。ちょっと変わっているかれの部屋は、入り口からクレイジーだ。で、僕はそれを"Don't disturb"になおしながら、ドンドンとドアを叩く。ちょっとどきどきしながら数秒間待って、けっきょく灰を落としてから合鍵をつかった。かれはひどく寝つきがよくて、"どうぞ" と言われているわりには一度も出迎えられたことがない。(たぶん、だからプレートがあるんだろう)
 ドアからひとつづきになっているかれのへやは、開けるとまず5人分くらいの靴がちぐはぐのペアで並んでいて、歩く場所のほかは部屋中にものが散らばっていた。整理下手というわけではなく、ものの位置は把握しているらしい。赤いジャケットのCDの横に、たたんで置いてあるトランクスは同系色のハート柄だ。でも、そのとなりにはミントの植えてある鉢がある。歩く場所がちゃんと決まっていて、かれはいつも忠実に床の見える場所だけを歩く。僕は違った。散らばったCDにだけ気をつけて、あとは積みあがったデニムの山をくずしながら歩いていく。まるで王宮の庭園のように、整えられているかれの部屋はきらいだった。文字通りそこには足の踏み場もない(あっても僕にはわからないし)。
 "掃除を" とプレートにあったように、僕は僕の好きなように、毎朝かれの部屋を"掃除" する。僕の道をつくりながら。手始めに、今日は入り口のすぐそばにあるハードブックのたぐいを、Tシャツの海に蹴り落とした。ばさばさとすごい音で落ちる本にも、かれはまったく気がつかない。指の先でたまった灰がしたを向いて、日が昇るまえの青い暗がりからアッシュトレイをひろいあげた。そのなかに火のついたままの吸いさしを放って、サイドテーブルのうえに置く。開いたままにしてある窓を閉じてベットに座り、床のうえに履いたままだったスニーカーを落とした。そこらじゅうに、だんだんと煙が充満して、かれのあたまがもぞりとシーツのなかに隠れる。
 かれは自分も吸うくせにたばこがきらいだ。僕の乳首を噛みながら、「おまえの肺はタール濡れだ」って言う。
「うそ、タールの味がするの」
「するする。すっげマズいよ、染みてるもん」
 でもかれはいつだって1mgしか吸わないから、口だって苦くないし、乳首もふつうだ。タールの味がすればいいのにと思う。ニコチンガムなんかより、よほど禁煙対策になりそうだ。副流煙の充満したへやで、そうしてかれの肺もまっくろになればいいのに。でも実際に肺からタールが染み出るなんてことはないので、かれの話だって冗談だろうし、これはただの嫌がらせだった。かれの部屋で、かれのベットにもぐりこみながら、かれのきらいなバニラの煙といっしょにキスをするのがすきなのだ。咳きこんで「最悪だ」っていいながら目をさますかれを、サイコーって言わせるのがすき。(あんまり言わないけど)
 僕はかれの大事なシーツをひきはがして、Tシャツも脇の下までたくしあげながら、うえに乗ってキスをした。かれにキスするたび、僕の舌がもう少し長ければいいのにとおもう。のどの奥で、ぐっとへんな音をだして、かれは力の入ってない手のひらで僕の首をおしかえした。かれの髪は光があたるとオレンジにひかる赤毛で、瞳は見える左目がグリーン。生まれつき見えないという右は色が違うらしいけど、眼帯で隠していて、僕はまだ見たことがなかった。このまえ整えていた眉毛が、片方抜きすぎて微妙に終わる位置がずれている。かれはそれを寄せながら、僕のくびにあてた手のひらにすこしだけ力をこめた。
「・・・・、」
 アレン、と口だけうごかして、かれは音にならない息をはく。かすれすぎて声が出せていなかった。
「モーニン、ハニー」
「アレン・・・息できねーさ。ちょ、・・・窓あけて」
「だめです。いま、ラビの肺をタール濡れにする計画を実行中だから」
「最悪・・・いいよ、そんなん、」
 のどがいたい、と、かれは右手でかりかりと窓を引っかいた。
「あ、朝立ちしてる」
「まだ、朝じゃねー、さ。ほんと、早すぎ」
 文句をいうかれのトランクスに手をつっこんでにぎると、かれは僕の着ているTシャツの襟元をきゅっと引っ張った。
「してるのはラビだよ」
 それにもう朝だ。ベットのなかに沈んでいる髪の毛の、半分はもうオレンジだった。ラビは眠そうな顔をくしゃりとしかめて、「わかったから、窓、」ともう一度いいながら、僕のデニムの腰をゆるめた。無視して手を動かしていると、かれは僕の首にすこしだけ歯を立てて、そのあとはいつもみたいに少し腰を浮かせながら僕の手のなかでイッた。かれはぎゅっと目をつむり、少しだけ口をあけて声を出さずにいく。力がぬけてベットに沈みこむ瞬間に、かれは僕の首に腕をからめて道づれにした。で、自分から引っぱったのに、倒れこんだ僕につぶされて肩のしたで変な声をあげる。僕は細いほうだけど、背はかれより少しだけ高かった。肩をどけてのぞきこむと、眠気がさめたらしく、自分だけやけにすっきりした顔をしている。
「ラビ、ラァビ。手がお留守」
 抗議すると、かれは「はいはい」って苦笑いながら、僕のうえに乗った。ついでに窓をあけて、カーテンをちょっと持ち上げながら、「今日も晴れかあ」と、ため息のように言った。かれは晴れの日が苦手だ。閉じこもっていてはいけないような気分になるからだという。そしてくもりや雨の日は、嬉々として部屋に閉じこもっている。片手を僕のデニムにつっこんだまま、かれは枕もとのティッシュボックスを引き寄せた。
「あ、ねえアレン。今日ってもえないごみ?」
「・・・んなこと、知り、ませんよ」
 オレンジにひかる髪の毛に手をのばしたら、思ったより力が入ってしまったらしく、いて、とかれが小さく叫んだ。それといっしょに僕もイッた。それを見て、「なにかんじちゃってんのー?」といたずらっぽくかれが笑った。
 けらけら腹をかかえて笑いながらベットに転がったかれは、そのままベットの端っこまで転がって、「あ、」といいながら僕のスニーカーをひろいあげた。
「またスニーカーのままここまで来ちゃったんさ、アレン」
「だって我慢できなくて」
 僕の返答に、ラビはまたわらった。ほんとうは違うんだけれど、僕はそれを言わない。10月の朝はすこし寒くて、僕らは床に落ちたシーツと毛布をひろいあげた。

 かれの部屋が嫌いだった。それだけだ。それは精巧につくられた殻のようで、かれのことを包みこみながら、ゆるやかに僕を拒絶していたからだった。




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05/10/21