コンビニエンス (Jun 1999)





 わたしたちの住んでいる部屋から3駅向こうのストリート沿いには、大手レコードチェーンのロンドン本店があって、デートコースのはじめとおわりはいつもあの看板をながめていた。そこはごちゃごちゃしたうるさいところ。でも、アートと音楽と流行があふれて、あふれすぎてそれがほとんど轟音や罵声になってしまったその街のことが、わたしは意外と好きだった。なにもかもをそろえようとして、無理やり押し込んだおもちゃ箱みたい。・・・もちろん、そんなにかわいいものではなかったけれど、整然とした観光地なんかより、よっぽど人間味にあふれているとわたしは思った。劇場のダフ屋を無視しながら、わたしはかれにそのことを話した。かれはうなづいていたけれど、人の多さに辟易していた。ひとの多いところが苦手なかれが、嫌がりながらもついてくる理由はふたつ。ひとつは、大きなレコード店に、ひとりでは入れないから。ふたつめは、わたしの頼みだから。かれの左手をとって歩くと、すこしだけ笑って、まるめていた背中がのびたみたいだった。

 高校を卒業してからいっしょの部屋にすんでいるかれは、嫉妬したくなるほどきれいな色の赤い髪で、瞳は深いグリーン色。とてもかっこいいのに、ちょっとだけ人が苦手で、たくさんの人はもっと苦手。すごくすてきな絵を描いて(ときどき、わたしには意味がわからないモノもつくるけれど)、音楽のことなら聞けばなんでも知っていた。とくにテクノみたいなのがすきだけど、わたしはあまりよくわからないから、かれのすきなアーティストの名前は聞かれても答えられない。
 そんなかれは、相手が女の子でないかぎり、無口でほとんどしゃべらなかった。女の子はすぐに仲良くなれるけど、男の子だとぜんぜんだめ。とくにそれがかれの好みだったりするときは、口が聞けないんじゃないかと思うくらいにシャイになった。・・・そう、わたしのかれは、じつはゲイだ。女の子も抱けるけど、気に入った子のほかはみんな友達(まあ、相手はそう思ってないときもあるけど)。セックスの相性は、女の子より男の子のほうがいいみたいだった。
 だから、わたしたちはいっしょに住んでいるけれど、セックスしたことは一度もなくて、でも夜はクイーンサイズのベットでいっしょに眠っていた。寝るまえにどこかの国のちいさなニュースを話してくれるかれは、デートのとき、わたしのとなりで人ごみに背を縮めているひととは別人みたい。わたしはそんなかれがすきで、いつもキスしてくっついて眠った。わたしにとってもかれは恋愛の対象外だったけれど、ひとの数だけ関係があるのだから、そんな日常がおかしいとはおもわなかった。あたたかい繭みたいなあの部屋で、ぬくぬくとすごしていたかったのだ。小さいけれどいつも食料で満たされていた冷蔵庫と、たくさんの服とたくさんの靴。かれのもっている山のようなCDと、古いけどいい音の出るミニコンポ。天井までぎっしりつまった本棚。やわらかなベット。あそこはわたしたちのちいさなお城。まもってくれる頑丈な殻。そして、鳥かご。
 かれはもともと学校なんか大嫌いだったから、セカンダリースクールを16歳で終えたあとは、専門学校でファインアートを専攻した。そのとき知り合った先生のつてで、卒業してからはオブジェの制作を手伝っている。外に出るのが苦手なので、部屋とアトリエと深夜のアルバイト先のコンビニとを行ったり来たりするだけだった。そして、たまに重なったわたしたちふたりの休日には、3駅先までデートに出た。赤い看板をながめながら街の中心へ向かい、ギャラリーと服屋をまわって、さいごにまたあのレコード店に戻っていくのだ。観光客でごったがえす駅前をかきわけるように店内に入ると、かれはいちばん奥にある、いちばん古いアルバムから目をとおす。手をつないで笑いあうわたしたちを、まわりはどう思って見ているのだろう。兄妹?恋人?
 実際はどちらでもない。わたしたちを囲うことのできることばなんてどこにもない。永遠に秒針の止まった部屋で、だれかがドアをノックするまで、わたしたちはだれにもわからないふたりきりだ。
 ふたの開いた鳥かごのなかで、おなじ色の夢を見てねむっている。




コンビニエンス・シリーズ
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05/10/13