午前3時のティータイム




 扉の下に真紅の薔薇が一本だけ差し入れられていた。夜明けの近いまだ暗い時間のことだ。任務で滞在中の宿にはファインダーがひとり残っていたはずだった。立っていたその場所に、いまはジョーカーのカードが落ちている。ラビはゆっくりと歩を進めながらそれらを確認して、少しだけ眉をひそめた。扉の前にたち、まるでなにも見なかったようにジョーカーを踏みつけると、金の鍵穴にその部屋の鍵を差し入れた。鍵はなんの感触ものこさず空回った。それはすでに空いているのだ。かれは息をつめてドアノブをまわした。手前に引くと、そのままにしてあった薔薇の花が引きずられて、花弁がいくつも床に落ちた。かれはそれも気にしなかった。どうせ一本目は踏みつけられるためにあるのだ。相手もかれがひざまづいてそれをとるとは思っていないだろう。ラビはかまわずに部屋にはいった。窓際のテーブル。オークの椅子に腰掛けた人物がにやりと笑んだ。「やっとおかえりか。ご苦労なこった」
「あんたほどじゃないさ」
 ラビは表情をかえずに槌をかまえると、鋭い先端を男の鼻先に突きつけた。相手はそれを気にする様子もなく、勝手に持ち出したらしいジンのグラスを左手でかかげる。チン、と貧相な音でグラスが切っ先にぶつかった。にやりと相手が口をゆがめて笑うので、ラビはたまらずに眉をひそめた。テーブルの上では数えるのも億劫なほどの薔薇が束になってこちらを見ている。ため息をつきたかった。よりによってかれがとっておいた一番いい瓶が半分以上空になってそこにあった。白い手袋をはずした指で、相手はもうひとつのグラスにその中身をあける。もはやかれの向けた刃は完全に無視されていた。ティキ・ミック卿は優美な動作でそれを持ち、グラスの端にキスをおとすとそのままそれをラビをまえにつきだした。
「おめでとう、親愛なるオレの兎」
「サンキュ、クソ野郎。反吐が出るぜ」
 うえ、とラビが舌を出すと、ティキはなにが可笑しかったのか、ゲラゲラと下品な笑い声をたてた。ラビはとうとうため息をつくと、もういいかげん突き出した槌の先もばからしくなって、その切っ先を床におとした。「まあ飲めよ」とまるで自分のもののように酒をふるまう相手に「死ね、このやろう」と毒づきながらそのグラスを乱暴に受け取った。それをそのまま逆さにして中身を全部ゆかに飲ませてやりたかったのに、いざそうしようと思ったら勿体なくて手がうごかなかった。数瞬まよったあと、かれはついにあきらめて相手の口付けたのと正確に反対側からグラスをあおった。いっきにそれを流し込んで、空になったグラスをドン、とテーブルのうえにたたきつける。「お、いい飲みっぷりだね青年!」 ティキはおもしろそうにかれを見てにやにや笑った。「つっ立ってないで座れよ。こいつは上物だぜ」「オレんだろーが」
 かれはイライラと椅子に腰掛けると、邪魔な花束を床に落としてそのテーブルに方杖ついた。子供のようにそっぽを向くと、声をおさえて相手が笑う。「悪い悪い。怒んなって、な?」「さいあくー」 不満そうな声をあげると、最悪ついでにティキの腕がのびてきてラビのオレンジのあたまをかき回した。その手を反対の手ではらうと、あらら、とティキは肩をすくめた。
「おとなになれよ、ラビ」
「・・おとな扱いしねーくせに」
「え?」
 していーの?、とやけに嬉しそうな声がきこえた。それを無視して、残りの少なくなった瓶を自分のグラスにむかってかたむける。悲しいことに、かれのとびきりのジンはグラスの4分の1にも満たなかった。文句を言いながらふりかえると、ティキはすばやい動作でかれのあたまを引き寄せてその唇にキスをおとした。
「・・それ、おとな扱いのつもりなんさ?」
 何度か角度をかえたあと、あっけなくはなれた唇に、かれはため息をつきながらつぶやいた。
 ティキはすこし片目をあげると、「言ってくれるね、このガキは」と今度は乱暴にラビの腕を引き寄せた。テーブルがぐらりとゆれる。最後の酒がグラスごと傾いで、床に落ちていた薔薇の花がそれを吸った。



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05/8/10