ラマ談義のおもわぬ結末




 ある木曜のことだ。かれが帰り道に犬とか猫とかのはなしをして、たとえばかれのおじさんはむかしラブラドールを3匹飼っていたのだとか、犬と猫はいっしょに育てると案外仲がいいんだとか。それから、小さなときはすごくハスキーが飼いたくて(「あの目の色がすきだったんです」) でも家が貸家だったから向かいの庭にいるその犬をよく見せてもらっていたとか。
 そんな話を聞いていると、自分がいかに動物というものと無縁に生きてきたのかがよくわかる。うちはオレの覚えているかぎりでは生き物なんて飼ったことがなかったし、そもそも、ひとところに定住したことのない家族だったから近所の犬の名前だって知らない。じゃあ、好きな動物は?とかれが訊いて、はじめてそのことに思い至ったのだが。たぶん自分は生き物に関心がないのではないだろうか。
 ほら、小さいときによく悪がきの連中が(と、ここでアレンは胡散くさそうにオレをみた。いちばんの悪がきは誰だったんだ?と問いたそうな顔) 「よくやっただろ?木のうえのリスに石をあてる競争とか、銀の菓子箱に入れて何分持つかとか、冬眠中の動物を土に埋めてつぎの春掘りかえしたらどうなるかとか・・」
 ぜんぶいい終わるまえに、かれは顔をしかめるとくるりときびすを返して向こうの方に歩いていってしまった。「わ、待って!ちがうちがう」 あわてて呼びとめると、怒ったようにふりかえる。
「嫌いです」
 そうやって真正面から言われたりすると、わかっていても勘違いしそう。「そういうの、嫌だ」
「そうだよな。悪い悪い」
 でも主語は先に言ってくれとオレはちょっと本気で思った(だってそれが自分のことだと思うと死にたくなる)。
「じゃなくて。オレは、そういうのにぜんぜん興味なかったっていう、な」
「あ、そういうこと」
 そうそう、とうなづくと、かれはようやくわかってくれたようで、ごめんなさいと素直にあやまった。ああ、そういうところがかわいいんさ。抱きしめていいかな。でもかれは怒ると手がつけられないし、いまだにゲイだと思われることに抵抗があるらしいので(ハグくらいなんともないのに)、ぐっとこらえてやめておいた。
 とにかく、そんなわけでまったくその遊びに興味の持てなかった自分は、良心の呵責にさいなまれることはなかったが、かわりに動物を身近に感じることもなかった。好きな動物、といわれて今思いつくのはせいぜいウォンバットとかアラビアオリックスとか、そういう図鑑や動物園のベタな知識ばかりだ。(と言うと、アレンはなにかとてもいいたそうな顔をしたが、けっきょくなにもいわなかった)
 オレはそれからしばらく昔みた動物園の様子などを思い出そうとこころみたが、けっきょく覚えているのはそういう印象深いものばかりだ。帰り道のとちゅう、うんうんうなって考えたがそれだけしか思い出せなかった。あまり熱心なので、アレンは最後には「もうこのはなしは終わりにしましょうか」と言った。で、オレは唐突に思い出した。「そうそう、ラマが好きだったよ」
 ラマ?とかれは聞き返した。そう、ラマだ。「オレはそれが大好きで、一時期、半年も動物園に通ったことがある。思い出したさ」
 へえ、とアレンはなんだか嬉しそうな顔をした。
「アレンは、ラマ好き?」
「わからないけど・・・たぶん」
 それからちょっと考えて、「きっと好きだと思うよ」とかれは言った。「正直、ラマってよくわからないんだけど。馬みたいなやつですよね?」
 そして、オレも思い浮かべた。
「たぶん・・いや、ラクダみたいなんじゃねえ?」
 あんなに何度もみていたのによく思い出せないなんて(というか、いまの今まで忘れていたなんて)、自慢の記憶力もこれじゃあなんの意味もない。オレたちはそのあと、駅から裏通りを抜けて23番地にもどるまでラマの想像についてはなしあった。「たしか大きさはダチョウぐらいさ」「色はベージュ?」「耳は?」「短かったんじゃない。だって、ねえ、長かったらそれはロバだよ」
 そんなわけで、その夜はとうぜんそれについて議論がやたらと盛り上がったので、「じゃあいっそ行って見てきましょう」などという展開はとても自然な成り行きだった。部屋にはインターネットにつながるノートパソコンが一台あったし、世界動物大図鑑全11巻セットもオレの本棚には並んでいたのだが、それで調べてしまうのはもったいない。なんといっても、オレたちはこういう偶然から派生したようなゲームが好きだった。
 つぎの日曜はふたりとも予定があいていたので、それまでラマについてのいっさいの詮索は中止された。オレはラマ情報のかわりに、むかし行ったことのあるその動物園の地図をウェブサイトから引き出した。ラマのいる動物園ならべつにどこでもかまわなかったのだが、オレの覚えていたところがたまたまそんなに遠くはなかったので、ここは事の発端となった場所に行くのが順当だと考えたのだ。

 日曜の朝は風がつよく、すこし曇っていたけれど午後には晴れる見込みがじゅうぶんあった。オレの天気予報はラジオのニュースなんかよりぜんぜんあたるので、その点アレンも一目置いている特技である。(しかし、それが当たりすぎたりするとかれはすこし変な顔をする)
 オレたちは午前中に家を出て、地下鉄とバスを何本か乗り継いで1時間半かけてその動物園に向かった。そのころには空もすっかり晴れていて、絶好のピクニック日和・・・といいたいところだが、あまりに晴れすぎたので気温がどんどん上昇して、バスから動物園の道のりはハンパじゃなかった。
 あまり暑いので、オレは気を紛らわせようと、このまえ調べたアラビアオリックスのことについて話をしたのだが、(サバンナに住んでいて、姿は牛とヤギをあわせたみたいだとか、どんなにあついところでもまったく汗を流さないので、水分がほとんどなくても生きていけるのだとか)。道のりを半分くらいのところでオスとメスの特徴について話し始めたら、いらいらした声で「もう、ほんとうに暑いですよね」とアレンが言ったのであわてて話を切りあげた。
 動物園は町を見渡せる高台のうえにあって、どうしたって坂をのぼらずにはたどりつけない。(ここに毎日通ってたなんて、オレはよっぽどもの好きなガキだったらしい) やっと頂上までたどりついて、古くてもまだ壊れていない動物園の看板を目にすると、なんだかほっとした。そこは比較的大きな公園の一角にある動物園で、杉やケヤキ林になった斜面をくだりながらケージに入った動物たちを眺めることができた。入り口にでかいアシカの夫婦がいて、サルと野鳥の種類がやたらと豊富で、公園で捕まえてきたんじゃないかというようなリスが大量に展示されていた。
 オレたちは売店で炭酸水のボトルを一本ずつ買うと、空いている木陰をさがしてそのなかに入った。日曜の動物園は休日にしてはすいていたが、昔のオレのようにもの好きな子供を抱えた親子が何組かそうやって木陰を陣取っていた。
 アレンはごくごくと炭酸水を飲み込んでひと息つくと、「ラビの天気予報はあたりすぎるよ」と、この晴天がさもオレの責任であるかのように言った。
「べつにオレのせいってわけじゃ、」
「でもラビの予報ってときどき、インチキ占い師みたいに無理やり天気のほうのつじつまを合わせてる、みたいなことがあると思う」
 オレは恋人の突拍子もない持論におどろいてしばらく声が出なかったのだが(ほめられているのか、けなされているのかがまずわからない) かれはひとまず水分を補給できたことで落ち着いたらしく、「さあラマのおりを探さなくちゃ」とさっさと木陰を出て行った。 

 このゲームの目的は、なにもラマの外見を賭けた記憶力勝負などでなかった。まあ、かれはラマの耳が短いというのをことさら主張していて、それについてはオレと意見がわかれたので少々言い争いになりもしたけれど。でも、重要なのはオレがむかし見た町と公園と、坂をかれが見ることで、最終的にラマに出会ったときに、自分たちの記憶のあいまいさを大声で笑えればそれでよかった。もし動物園がたまたま休園だったり、もう敷地が駐車場になっていたりしたら負け。ふたりで腹をかかえて大笑いできれば勝ちだ。
 ・・で、オレとアレンは林の一番おくにあるラマの小屋の前に立って、ふたりしてみごとに敗北した。
『Lama glama』と書いてある看板の柵の中は、みょうにだだっ広く、寒々として、小屋の壁にもうだいぶ薄まったインクで、『ここにいた2匹のラマは老衰のため2002年×月×日に死亡しました』と注意書きが貼られていた。小屋の中は空だったのだ。
「2002年!」とオレは思わず声をあげた。「3年前さ。うわ、マジかよ」
 よほど人気があったからなのか、それとも単にほかに入れる動物が見つからなかったのか、(実際ほかにも空のケージはいくつかあった) オレはその空っぽの小屋と3年前の日付の貼り紙をみて少なからずショックを受けていた。オレにとってこの動物園は、むかしから『ラマのいる動物園』で、そのために越してきてから引っ越すまで半年もこの動物園に通ったのだし、思えば動物大図鑑のLの巻を買ったのだってこのときだったはずだ(だからいまでもその巻だけは年代が違う)。
 そしてなによりも、オレたちのいままでの道のりがぜんぶ無駄になってしまった。まったくの敗北。あの地獄の坂のことを思うとなんだか胸に色々な感情がこみあげてきた。オレはアレンに話しかけようとしてとなりをふりかえった。ごめんとかいいながら。そして、かれが自分とはまったく別の目でその貼り紙を見つめているのに気がついた。

「・・・アレン?」 オレはそれにとても驚いて、思わずかれの名前を呼んだ。アレンは空のケージと端っこのびらびらになった貼り紙を、ほとんど泣きそうな顔で見つめていたのだ。オレはわけがわからなくて、(だってかれがそんなにラマ好きだとは思えないし)、とにかくかれを泣かすまいと、抱きしめたりキスしたりをくりかえした。
「アレン、アレン、大丈夫さ。ラマならほかのとこにもきっといるだろうし」
「老衰ってことはほら、ちゃんと命をまっとうして死んだってことさ」
「ああ、ほら見てアレン。ここに20歳まで生きたって」
「だいたい、これは3年もまえの話なんだし、3年前っていや、オレら・・、あ、ああそうか。3年、前、」
 そしてオレは、やっとその原因に思い至ったのだった。アレンはいきなりオレに抱きつくと、何もいない空っぽの檻のまえで声をあげて子供のようにわんわん泣いた。やっと理由がわかったオレは、もうくだらないことを言うのはやめて静かに背中をさすっていた。何をしてもどんなになぐさめても、かれは泣くことしかできないとわかったのだ。オレは背中をさすりながら、目の前にある薄汚れた貼り紙を読んだ。
「“ラマは20歳という高齢で死亡しました。みなさんに愛された幸せな最期でした”」
 そしてかれのことを一度だけ力を込めて抱きしめると、きらきらしているプラチナブロンドのてっぺんにキスを落とした。大事なひとを亡くした思い出がそれで消えてなくなるとは思わないが、せめてここにオレがいるってことくらいは思い出してくれるだろう。そうであればいいと思った。とりあえずはかれが抱きしめる力を強くしたことで、オレとしてはほっと胸をなでおろした。
「ほんと、最悪な一日さ。ごめんな」
 そういってキスをしたら、アレンはひどい鼻声で「ほんとうに」と言い返した。「ほんとうに、最悪な一日」
 それからオレの腹をつねって腕の中から抜け出すと、空っぽのその小屋を二度とふりかえらなかった。ついでにオレのこともだけれど。なぐさめかたが気に入らなかったのか、すっかり機嫌をそこねてしまったかれは、そのあと帰りのバスの中までぜんぜん口をきいてくれなかった。(あとから聞いたはなしでは、まわりも気にせずあれだけの号泣をしたことが単に恥ずかしかっただけらしい。そんなことは知る由もないので、オレはその半時間で半年分くらいのダメージを受けた!)
 でも、この最悪な日のたったひとつ残った幸福なできごとは、それ以降、オレがアレンを人前でだきしめても(かるいハグ程度なら)みぞおちの一撃を喰らうことがなくなったことだ。これはオレたちの関係において、非常に重要な事柄である。
 ラマについては、ほかのいろいろなゲームとおなじく、いつのまにか日常のごちゃごちゃにまぎれて消えていった。というか、帰りのバスでオレが月曜に提出予定の東洋古美術のレポートをすっかり忘れていたことを思い出したので、それどころではなくなってしまったのだ。
 そしてふたたびラマのことを考える余裕ができたころには、またつぎのあたらしいゲーム(リナリーの友人でまったく女っ気のないサラ・ディケンズを変身させるために神田とつきあわせてみようという計画)について話が持ちあがっていたので、アレンはもっぱらそれにかかりきりだった。・・でも、それはたいして悪いことじゃない。月曜にリナリーに会って話をしたのだが(彼女とは論理学の講義でいっしょになる) いろいろ聞いてみたところ、どうやらラマの耳は短いようなのだ。オレはそれを聞いてすぐ、前々から彼女が相談していたサラのことを持ち出した。
 で、まあそれからいろいろあって、けっきょくその半年後にはまったく別のカップルができあがっているわけだが、それはまた別のはなしだ。これについてはオレよりもアレンのほうがよくわかっているだろうし、正直、なんであいつらがつきあうことになったのか、オレはいまだに理解ができない。
 つまり、これはラマ談義の波状効果がもたらしたひとつの産物だとおもうのだが、そういったらオレの友人はひどく怒り狂うだろうから、これはオレの心のうちにとどめておこうと思う。



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05/7/30