石をひろう男




「オレは石を探してた。しろくて、角のない、腕いっぱいに抱えられるような大きさのヤツさ。そのときのオレはまだ名前が売れるまえで、自分で持ってる財産といえば、画材一式とパンク寸前の自転車だけだった。で、オレはそれに乗って近くの河原までがたがたいう自転車をこいで石をさがしにいったってわけさ」
 エールビールをぐい、とのどに流し込んで男は言った。カウンターでとなりに座る青年は、さして面白くもない男の話に興味をしめして聞き入っている。「へえ、それで?」とつづきを促されて、男はすこし面食らった。青年の白っぽいプラチナブロンドが、オレンジの照明にてらされて、ラガーみたいに透きとおった金髪に見える。細面の顔は男のくせに美人の部類で、かれの声がしっかりしたテノール(といってもほとんどアルトだが、男の声には違いない) でなかったなら、ちょっとどきりとする光景だ。「ほんとに聞くの?面白くない話だぜ」 かれは言った。男自身、そんなのは承知していたのだ。涙ながらにビターをやりながら人生語るなんて、最悪だ。しかもかれは、その語る人生だって折り返しにも程遠い28歳なのだから。
「へえ、28!僕と同じ歳くらいかと」 青年は驚いてそういった。「童顔でね」 男は答える。実際かれは外見だけなら24、5歳に見えた。モテる部類ではあるが、いまだにときどき大学生と間違われるのは我慢ならない。
 すると男は青年ににやりと笑いかけて、「でも、おまえだって年齢より若く見られるクチだろう?」 とかれにたずねた。青年はみたところ19かそこら。そうでなくてもどう見たって学生だが、それにしては場馴れしていた。「23、」 どう、当たった?青年は男の言葉に肩をすくめてみせた。「あれ?じゃあ・・25、とか」
「さあ・・どうかなあ」 青年はくすくす笑うと、ジョッキを大きくかたむけた。「なんでそう思うんです?」
「そりゃあ、おまえ。もしそれで10代ってえなら、30には社長にでもなってんぜ」 
「社長ですか」
 いいなあ、それ!ツボにはまったみたいで、かれはしばらくそのネタで笑っていた。「で、本当はいくつなんさ?」 青年はもう一度ジョッキをけたむけて豪快な一口をごくりと飲み込むと(その飲みっぷりはどう考えても10代じゃなかったが)、男ににっこりと笑いかけた。
「秘密です」
「おいおい」
「・・んー・・じゃあ、あなたがさっきの話のつづきをしてくれたら、教えてあげますよ」
 かわいらしく首をかしげた。
「・・おまえね、オニイサンをからかうもんじゃないよ」
「だって、僕聞きたいんですよ」
「石をひろった男の話を?」 ええ、と青年はうなづいた。「あなたの話を」
 にこりとわらう青年は男だと言うのにやけに艶っぽくて、かれはとうとう口を開かずにはいられなかった。美人にせがまれたら、とりあえず断るなんて野暮なことはしない主義だ。男はぬるくて苦いエールを舌先でなめて、すこし考えるようなしぐさをした。そしてとなりに座る青年をじっとみつめると、おもむろに「その髪の毛は?」とかれにたずねた。「そいつは、地毛?」「・・ええ、染めたことは、ないですから」 青年がふしぎそうに答えると、男は手をのばしてその髪の毛をゆっくりなでた。「いい色だな」 かれの言葉に、青年はおどろいたように瞬いた。「オレがずっとさがしてるのは、こういう色だよ」男は言う。「こういう、混じりけのない、まっさらな鉱物みたいなやつさ。オレはそういう石を一度だけ見たことがある。そのときから、それがずっと目に焼きついてはなれない。まるで悪い心に巣食った悪魔みたいにな。・・オレはずっと、その石をさがしてる」
 かれは切なそうに目を細めると、そのあたまをかき抱きたい気分で手を離した。青年は身動きひとつしなかった。



 男は石をさがしてた。まだ名前が売れるまえで、その日の食費は夜中の荷物運びで稼ぎ、家賃は3ヶ月滞納していたが、かれは画家になる夢を捨てきれていなかった。昼は部屋に閉じこもってキャンバスに向かい、夜になると仕事に出た。ほとんど眠らない生活だったが、それでも絵を描くことはやめられないと使命のように感じていた。男は自分の絵に自身があった。その反面で、描くものにどこか違和感を感じていたのも事実だった。何かが違う。紙か、絵の具か、筆の質か。でもそれが何かはわからなかった。男は毎日ばかみたいに描きつづけ、そのたびに挫折を味わった。最悪だった。自分には絵を描くことしかできないとわかっているのに、その足りない何かのせいで、ずっと地べたを這いずりまわっている。・・もちろん、それはただの傲慢だった。いまでもそんなことを思っているわけじゃない。ただ、そのときのかれは、足りない何かをもとめることに人生をかけていた。それを見つければすべてが上手くいく。あともう少しの辛抱だと。・・まったく、ばかなガキだったのさ。それはいまもかわってない。
 それで、そんな生活を続けていた男は、けっきょく家賃を9ヶ月間滞納させた。しぶる管理人を説き伏せ説き伏せ、最後には「コンクールに入賞して仕事がもらえそうだから来月には払える」ともっともなことを(3度目だったが)言ったりした。事実、開催は翌月だったがコンクールは予定されていた。もちろんかれは出展するつもりだった。今度はキャンバスをかえて描こうと。だが、肝心の材質がまだみつかっていなかった。仕事の合い間、帰り道のすっかり明るくなった通りで男はものを物色し(その当時、金のなかったかれのキャンバスはもっぱら材木の端材やダンボールだった) 持ち帰っては捨てるということをくりかえした。
 そんなときだった。男は、ある店のショウウインドウに置いてあるひとつのどでかい石に目をうばわれた。そいつは腕に抱えるほども大きいのに、まったく、ひとつのシミだってない真っ白くてなめらかな石だった。見た瞬間に男は悟った。“ああ、オレはこいつを探していたんだ”ってな。明け方でまだ暗い店内にそれが置いてある光景は、そうとう異様だった。まるで、頭蓋骨が転がされているみたいだった。でも、それが目に留まったときからあたまにかかってた霧がすっと晴れていくのを、かれは感じていた。男は家に帰ると、いままで溜め込んだキャンバスのがらくたを全部捨てた。そして、すくない有り金を全部持って、その骨董品屋に走って行った。



「・・それで、けっきょくその石は?」
 聞き入っていた青年が、息をついた男にむかってたずねた。「もうなかった。売れてたよ」男は苦笑してくびを横にふった。
「・・で、オレは当然それを買って行ったやつを追いかけたが、見つからなかった。かわりにオレは河原に行った。石をさがして一日中川辺を歩いたが、けっきょく最後には近所の駐車場に落ちていたコンクリートの破片を持って帰った」 男は自嘲気味に笑った。
「そいつで描いた作品が、オレのデビュー作になった。オレはその種のアーティストとして、この若さじゃよすぎるくらいの名声を得た。石にだったらなんにでも絵を描いた。親指くらいの小石から壁画まで。いまじゃ壁画以外はやらない。石の大きさに比例してギャラが増えるなら、壁画がいちばんだからな。それに時間と体力を使って、余計なことを考えずにすむ」
「よけいなこと?」
「あの石さ」
「鉱物がなんだか、わからなかったんですか?」
「さんざん調べたよ。でも、気づいたんさ。どんなに探しても、たぶん同じものはふたつとないんだ。幻みたいに現れて、オレの心をあんなにもかき乱したのは、あいつだけだった。・・あいつは悪魔だ。でも、ミューズでもあった。あれから何年もオレは石に絵を描きつづけてるけど、いまではそれに意味があるのかどうかもわからない・・・。おい、どうしたんさ」
 男が青年のほうをふり返ると、かれはカウンターにのせた両腕に顔を突っ伏して肩をふるわせていた。それが泣いているように見えて男はぎょっとしたが、しばらくすると、意外にもしっかりした返事が返ってきた。
「まだ、さがしているんですか?」と、青年は顔をあげないまま男にたずねた。「その石を買った男を、あなたはまだ恨んでいる?」 わからない、と男は答えた。そして、すこし考えてから、「恨んではいない」と言った。「自分でも妙なんだが、オレはそいつに会ってみたかったとさえ思ってる。あの石の魅力にとりつかれたもうひとりにな」
「・・まだ、ほしいですか?」
「万の石をひろっても、もうあの石ほど求めるものには出会えないさ」
 男がそういうと、青年はおもむろに立ち上がってカウンターに小銭を置いた。「・・おい、おまえ、帰るのかよ」 青年は苦笑して男に謝った。「すいません。大事な用を思い出しました」
「また会える?」
「明日、ここで同じ時間に。そのときに、約束も果たします」
 青年はそれだけ言うと、バーテンに一言声をかけ、店をあとにした。男はしばらく閉まった戸口を見つめていたが、やがてため息をついてスツールに座りなおした。すっかりぬるくなってしまったエールを見つめて、いっきにそれを流し込む。かれはバーテンが残ったグラスをカウンターの向こうにひっこめるのを横目に見て、先ほどの青年のことを思い返した。白い髪や、すらりとした頬、やわらかい声を思い描き、それを追わなかったことをいまさら後悔した。いつでもそうだ。あの石も。・・かれにした男の話はほとんどが真実だが、ひとつだけ嘘が混じっていた。男はあの朝、空っぽのショウウインドウを見て、それを買った青年のことを店主に尋ねさえしたのに、追うことをしなかったのだ。手をのばせば届いたかもしれない距離だったのに、かれは怖気づいた。男はもう一度ため息をついて、空っぽのジョッキをカウンターに置いた。



『あの朝のことが、僕は悔やまれてなりません。あのころ売れない鋳造作家だった僕は、たまたまショウウィンドウのなかで見つけた石にとてつもない魅力を感じ―-そう、ちょうどあなたと同じように、僕もミューズの囁きを受けて――持っていた財産をすべてはたいて、あの骨董商から石を買い受けました。でもそれは間違いだったのだとすぐに気がついた。なぜなら、石は僕の手元にやってきたとたん、その輝きをうしなって家に帰り着くころには、もう河原に落ちている石と区別がつかないくらいだった。僕は落胆し、そして悟りました。ミューズは僕を選ばなかった。彼女はたぶんあなたを待っていたのです。僕はそれをわかっていながら、つまらないプライドでその石を返さずに手元に置きつづけました。ああ、たぶんあなたは僕を許しはしないでしょう。僕はあなたの大事な“彼女”に、ノミを入れさえしたのです。その傷を見て、なにか取り返しのつかないことをしたのではないかと、僕は悩みつづけました。僕はもう、彫刻家ではありません。その資格は、もう僕にはないのです。 長い間“彼女”返せなかったことは、お詫びのしようもありません。そして傷つけたことも。どうか石を受け取ってください。そして、作品をつくり続けてください。僕は、もう二度とあなたの前には現れません。
ミュージアムではじめてあなたの作品を見たときに、それと気づくべきでした。僕はあの荒々しい怒りと悲しみのこもった石版に心を奪われて、しばらくその場を動くことができなかった。きのうあなたに出会ったのは偶然です。けれど、それがあなたにとって必然であったのなら、僕は嬉しい。
長くなりました。どうか僕のことは忘れてください。そしてこの手紙も、できれば捨ててしまってください。あなたのもとには、石だけが残ればいいのです。どうかお元気で』



 ラビは読み終わってもしばらくの間その手紙を見つめていたが、やがて顔をあげると、石をつつんでいる厚い布を丁寧にはぎとった。中には中心に一筋の傷がついた、白くなめらかな石があった。かれはそれに指を這わせ、輪郭を確かめるように目を閉じる。開いた傷口に、ラビは唇をよせた。ひやりとした石の感触。鉱物の匂い。そのなかに、すこしでも青年の片鱗が残ってはいないかとさがしていた。
 ラビは、手にした手紙をくしゃりとにぎりしめて、包みの解かれた石をそのままに部屋を飛び出した。これが玄関に置かれてから、そんなに時間はたっていないはずだ。駅に向かって走りながら、かれの心を占めるのはもはやあの青年のことだけだった。あの髪、あの声。かれは、あの朝のように走っていた。
 そして駅の構内で、いましも改札をくぐろうとする青年に、かれはようやく追いついた。驚いたような、恐れるような表情をうかべ、自分の手をしっかりとつかむ男を、青年はじっとみつめた。「あんた、・・あんたの名前!」 ラビは整わない呼吸のまま、青年の腕をぎゅっとにぎった。「オレはあんたをさがしてた。あんたのことを・・・、」 驚いたような表情のまま、青年はラビをみつめている。
「ずっとさがしてた。オレはずっと、あんたのことが欲しかったんだ!」
 男は青年の腕を引きよせ、その頭をかき抱いた。抱きしめられた青年は、しばらく身動きひとつしなかったがラビが気づくと肩をふるわせて泣いていた。すがりつくかれの背を、ラビは優しくなでている。男はようやく、長い間求めていたものをかれのうでに抱いていた。



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05/7/24