兎の穴に落ちた




 店内に流れるのはいま流行りのクラブサウンドと、それをバックに弾けるようなパーソナリティーの陽気な声。ヒットチャートは架橋にはいり、聞きなれたサウンドがうるさくかれの後ろから人の声まで押しのけてやってくる。やかましさに閉口して仰ぎ見れば、座っている高めのスツールのちょうど真上に店内用の小型スピーカがあった。午後6時のカフェはなぜか知らないがやたらと人でにぎわって、それをさけるように奥へ奥へとすすんだのでこういう結果になったらしい。でかい音だな、と文句を言うと目の前のふたりは肩をすくめた。「この場所選んだのはユウさ、」と言ったラビに、となりのアレンもうなづいて。けろりと言うな。それはおまえらが20分も遅刻したからだろうが。短気のかれはイライラと舌打ちをするが、それがあまりに日常にとけこんでしまったために、いまではだれもそんなことにつっこんできたりはしなかった。あいかわらずくだらない話をつづけながら、でかすぎるパフェとトフィーとチョコブラウニーとスコーンとバニラアイスをつついている。男がふたりで(そこにかれは入っていない。同じテーブルについているだけだ)。視線がいたいなんてことは別にどうでもいい。問題は別だ。この目の前のふたりだ。

「すっげ、うぜえ」
 ぼそりとつぶやいたかれのことばに、アレンはぱちぱちと瞬いた。ほしいの、神田?
「だから最初に、コーヒー以外も頼んだらってきいたのに」
 違うだろ。そこじゃないだろ、おまえ。
「つか、なんで俺がてめえらといっしょに仲良くカフェで喋らなきゃなんねーんだよ」
「だって誕生日じゃないですか」
「そうそ、だからほら。拗ねてないで好きなの食べればいいさ!」
「おまえらそれ絶対いやがらせだろ」
 目の前のふたりは声をそろえて「まさか!」とひとこと。正反対だが「もちろん」と同義だ。アレンなどはさっき山盛りだったはずのパフェをすでに半分まで平らげてご満悦、と言った表情でラビのトフィーに手をのばす。ラビはあきれながら、おまえよく食うね、と切れ端をアレンの口にほうりこんだ。餌付けににている。この前見たシロクマの。でかい口をあけて手まで食いちぎろうかという食べっぷりだった。こくん、とひと口で飲み込んだアレンに、もっと味わって食えよ、とラビが言った。
「俺は自分の誕生日におまえらがいちゃつきながらパフェつついてるのを見なきゃいけねーのか?」
「はいはーい、ユウちゃん拗ねない拗ねない」
「ていうか、きみの誕生日知ってるのって僕ら以外にいるんですか?」
「俺はおまえらにも誕生日を教えたつもりはねえよ」
 もちろん、オレらはリナリーに訊いたんさ、とラビ。アレンはとなりでさいごのパフェのひとくちをこちらに(一応)差し出して、いりますか?ときいてくる。いらねーっつの。
「神田って秘密主義?愛想悪いのは知ってるけど」
「教えねえよふつうは。よけいなお世話だよ」
「え、そうなの?僕みんなに教えますよ?」
 ね、ラビもよくプレゼントくるよね。とアレンがとなりにたずねると、コーヒーを飲みながらラビがうなづく。アレンは胃袋がブラックホールだが、ラビはそのへんふつうなのでちょっと苦しくなってきたらしい。だれだっけ、あの金髪の。ああ、キャスリン?
「そうそ、ほかにもカレッジのエヴァとロザンナ、一級上のアリス、このまえ行ったパブのクリスティー、栗毛のデラ。あ、リナリーの友達のメイにももらってたでしょ」
「オレってばモテモテさー」
「それはおまえが過去につきあった女だろうがよ」
「誕生日教えるまえに別れちまうやつに言われたくないさ」
「でもけっこう見境ないですよね、ラビは」
「浅く広くがモットー」
「おまえはただ飽きっぽいだけだろ」
 それってひどすぎ!とアレンが笑った。だいぶブラックに入っている。だいたいそういうアレンだってそうとう愛想をふりまいているのだ。思い出すだけでざっと10人。残りの20人(推定)は忘れた。こいつはたぶん全部おぼえてて言えるんだろうが。
「僕、別れた子とは仲いいですよ。ちょっと自慢ですけど」
「そーいやアレンも毎年よくもらってんね」
「別れた人数だけケーキが増えるんです」
 やけに楽しそうに。どこか価値観がずれているらしい。おまえが最悪だよ、言った声がラビとハモった。なんですよ、とアレンがかわいらしく頬をふくらませてみせる。見た目だけ。こんなのにだまされてたら世の女も末だ。こいつが白いのは見た目だけだぞ。「女っ気のないひとに言われたくないですよ」と彼はひとこと。ラビにも何か言えよ。
「俺はやかましいのと自己中なのが嫌いなんだよ」
「・・おまえがそれ言うんさ」
「ていうかそれって女の子全般じゃないんですか?」
 もしかして神田って、前から思ってたけど女の子だめなの?と。何故それを嬉々として訊くんだおまえは。ラビのほうを向いたら、彼もなぜか興味深々といったようすでこちらを見ている。頭を抱えたくなってきた。
「嬉しそうに訊くな!誰がゲイだ、誰が!」
「でもユウの好みってきいたことないさ、そういや」
「僕、神田がゲイでもぜんぜんオッケー」
 おいおい何がオッケーなんだ?言ってみろこのモヤシ。「つか、おまえらだけにはゲイとか言われたくねえ」ほんとうに、心から。この目の前で甘いものをお互いの口に放りこみながら笑いあっているやつらに言われたらおしまいだ。あまりに日常茶飯事なのでもはやつっこむ気にもなれないが。
「言っときますけど、僕がバイなのは神田とラビ限定ですから」
 で、ちゃんと女の子も好きですし。
「そんなことを真顔で言うな。そして俺を入れるな」
「冷たすぎ、ユウー」
 ラビが非難めいた声で。ああだめだ。このふたりに挟まれていたら絶対におかしくなる。アイデンティティが崩壊していくのを肌で感じる。2対1ってのがまず不利だ。正しいのはこっちのはずなのに、相手があまりにもおかしすぎてこっちが狂っているような気にさせられる。
「あ、じゃあさ、ユウの好みのタイプ言ってみ?」
 そういうと、ラビはこっちの肩を引き寄せて席のの反対側。おなじように座ってパフェやらケーキをつつく集団を指さした。あ、いいですね。とモヤシ野郎も言いやがる。
「はい、じゃあユウちゃん!ブロンドショートと赤毛のアップとロングのウェーブ、さあどれさ?」
「はあ?!何言ってやが・・」
「あ、僕ブロンドの子がいいな」
「おいおい」
「オレは赤毛のアップね」
「おいこら、おまえらな」
「じゃあ神田はあのウェーブの子ってことで」
 そう言って、さて話は決ったとばかりに席を立つ二人。これで今夜はダンスの心配しなくていいさね。よかったですね、神田、やさしくしてあげないとだめですよ。おい、俺は無視か。というかこの後踊りに行くってだれがいつ言ったんだ。ふたりに引きずられながら頭をよぎるのは、このふたりをどうやってのしてやろうかということばかりだ。ああ、でも一体このふたりを抑えられるやつがどこかにいるのか。こいつらを野放しにするのは世の中のためにならないと、どうしてだれも気がつかない?
「おまえらいいかげんにしろ!俺の誕生日じゃねえのかよ!」
 つーか死ね!いっぺんと言わず10回くらい死んでこい!思いつく限りの悪態をつきながら掴まれた手首を引き抜こうとするのに、びくともしやしない。楽しそうなふたりは「誕生日サービス!」などと笑いながら揚々と店の中を横切っていく。頭の上からはうるさいサウンド。甘いケーキと頭のおかしい連中とこのありえない日常から、いま全力で逃走したいと思っているのに。鼓膜をドンドンと打つのはラジオのクラブミュージックよりもっとひどい、狂った連中のしゃべり声と今夜のくだらないパーティの計画だ。

 結局のところ、かれはとっくに兎の穴に落ちている。追ってもいないのに!正しいはずの主張のすべてがひっくりかえる、このおかしな日常は一体なんだ。



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05/6/7