喪失の30分前にぼくは (続・どこにもいないひとの話)






 正直なところ、再会の瞬間にかれの顔を見るまで、その姿を微塵とも思い返しはしなかったといったらたぶんかれは泣くだろう。だから再会してちゃんとただいまと言ったときにもそのことを言わずにいたのだけれど、けっきょくかれは目を潤ませて泣いてしまったので、言っても言わなくても結果は同じだったのかもしれない。
「おまえ心配かけすぎ!」
 抱きつかれて、あれ、このひとはこんなに涙もろかったっけ、と自問した。なんだろう、いつもより涙腺よわい感じがする。それを相手に言ってみたら、バカやろう!と本気で怒られたので、こっちのほうがむっとして言い返した。
「なんでですか、なんなんですか」
「なんですかってそりゃなんだよ!」
 おまえが死んでたと思ったんだからしかたないさ!って、それは逆切れじゃなかろうか。いやちがう、僕のがそうか。あれ?
 よくよく考えてみなくとも、僕の生還劇は僕だって奇跡だと思った(もしくは執念)。死んだと思われていたあの日からこちら、生きていた、よかった、と嬉し泣きされるのにはけっこう慣れていたはずなのに、かれに言われて、ああそうなんだ、となんだか拍子抜けしてしまったのだ。僕はこの、本来は冷静にものごとを見極めるべきブックマンジュニアが、じつは必要なほどには冷徹になりきれないことを知っていたはずだった。はじめのうちはポーズとってたけど、じつはけっこうドジだっていうのはその日のうちにわかったし。人間に気を許さないのはフリだけで、本当は情にもろい。仲間に弱い。年下にはかっこつけたがる。(しかも結構失敗してるんだけど自分ではそれが成功してると思っているんだから極めつけにおめでたい人なのだ。)
 それならば、かれが仲間を失くしたことで泣くのはそんなにも驚くべきことなのか。そんなことないだろう。かれはきっと泣く。僕じゃなくても。でも・・・驚いているのだ、僕は。
 愛した人間にはかならず裏切られるだなんていう、被害妄想めいた考えはまったくない。愛したマナは死んだけど、それだからすべての人間を信じられなくなったなんてことはあるわけがない。みんなが僕にやさしかったし、僕はみんなが好きだった。かれを好きだから驚いているんじゃない。愛情を(言うのも恥ずかしいが) 信じていないわけじゃない。かれのことは好きだけど。ていうか・・・・正直、泣くかここで?とか思っている。
「こら、今おまえめちゃくちゃ引いただろ。ここで泣くのかよとか思ってるさ!ひど!」
「いや、だって、」
 怒ったかれをまじまじと見つめる。僕は理解をしようとする。おかえりもただいまもなく(まあ再会はこれ以上ないくらい拍子抜けだったんだけど、そのあとのはなし)、ただ抱きしめられて泣かれるとは。この人が弱いことを知っていた。何に弱いって、かれ自身の除外に。かれはブックマンの性としてすべてのものから除外される、仲間からも。そしてかれ自身もまわりのものすべてを除外し並列化し続けなければならないのだ。かれは感情の追求を、その先にある特別な思い入れを恐れている。そしてその弱さをかれは・・・―――。
「無視することで補ってきてたはずなのに。前はそんなふうには泣かなかった」
「ひどいやつ」
「泣くのは忘れるためだったでしょう。もしくは単純にポーズ」
「ああ、」
 おまえはオレよりオレのことをよく知ってるね、と。そんなこと言われてもうれしくない。僕は僕を置いていく人間なんか好きになりたくはなかった。そうだ、僕はラビが思うよりずっと、ラビのことを見ていたのだ。感情は吐露してその場に置いていくことを知っていた。一瞬は積み重ねるためじゃなくて、置いていくためにあったはずだ。だからラビは好きだと言ったその時間だけをすべて僕にくれて、けれどそれ以外はけして僕のものになりはしなかった。永遠だって、囁いてくれる一瞬だけが僕のものだった。かれは最後まで気づかない。僕だけがいつでも最後を予期していたのに。
「捨てないことに決めたの、全部? それで悶々としてるうちに、そんなに弱くなったんですか?」
「決めたんじゃなくて、これは結果、だな。できないってわかった。てか弱いって言うなよオレが傷つくから」
「―――僕が、」
 死んだから?
 聞きたかったけれど、寸ででどうしてか言葉が出なくなってしまった。何度か息を吸い出して、ああ、泣きたいのかもしれないと思ったがそんなことできたものではなかった。でもバカすぎて泣きたい。この人、だって、僕がここに戻ってくるまでに見た夢といえば、リナリーとリナリーとリナリーのことで、ラビなんて1ミリもなかったっていうのに。それなのにこんな見当違いな、独りよがりな結論を見出して、今までの自己防衛をあっさりとっぱらってしまったのか。だってそんな、それでそのやわい神経が持つのかよ。決心はもう誰にも何にも揺らがない冷徹さにすべきであって、間違っても弱さを助長するものじゃないのに。
「おまえが死んでから・・・けっきょく生きてたんだけど、死んだと思ってたからけっこうへこんでさ。ジジイにさんざどつかれたけど、全部を置き去りにしていくことはオレには無理だってわかったよ。あの感情は捨てられない。リナリーのことも、船のやつらも、おまえも捨ててはいけないさ」
「そんな大泣きしたんですか。はずかしいな」
「あのね!はずかしいのはオレであってね、」
「置いていくくせに」
 恨みがましくつぶやくと、相手は困ったように笑って僕の頭に手のひらを押しつけた。その甘やかしたがるくせは直したほうがいい。かれが自分の弱さを知った今となっては。
「選べないだけだよ」
「おなじだ」
「そうかも」
 それでも。かれは自分の弱さを見出し、弱くなったかわりに、と僕に言うのだ。
「今度はほんとに最後までやるよ。選ばないし、置いてくけど」
 そこにいったい、意味があるのか。かれの愛は一瞬から多大なる代償をはらって少し延長されたらしい。僕はそれを、喜ぶべきなんだろうか。
「しかも置いていくって言われちゃいましたしね」
「すいません」
「ああもう、ラビってバカすぎて」
「・・・・・」
「帰ってきたなあと思ったところで、僕リナリーが心配なのでついてます」
 感動は冷めやらぬどころか熱くなってもいないところへ持ってきて、僕はにこりとかれに言った。それを聞いて「ああ、愛がない! オレいま永遠誓ったくらいなのに! 愛がない!」 と大声でバカみたいにまくしたてる人へは、やっつけるように首に唇だけ押しつけてきた。リナリーのかたわらに座り、彼女が目覚めるのを待っている。彼女に早くあやまりたい。だって僕は彼女にひどいことをした。彼女らに。かれに。
 ああ、いまでこそ僕はやっとわかる。かれらが躍起になって僕を引き寄せた理由。死ねなかった最後のわけを。僕はやっと彼女が僕を助けたがった理由を知ることができたから、彼女が目覚めて真っ先に、ごめんなさいと彼女に言おう。

 ごめん、もう勝手に行かない。僕は愛するきみと(かれの)ために、やっぱり少し、しっかりここに居ようと思う。目を開けたらちゃんと言うから。






喪失の30分前にぼくは
06/9/11