虹色の鳥




 気が狂いそうだ、といわれれば、たしかにそうだとアレンは思った。まるで色による虐待だ。洪水のような色彩をあたまからザブリとあびせられ、飲み込まれてしまったように。あるいは周りにあるすべての色という色に疎外されたかのように、かれらはそこに不似合いだった。黒の白の二階調の団服もそれをさらに強調していた。薄手で極彩色の衣服をまとう人々のなかに、生地の厚いコートを着込んだかれらはそれだけで脅威のように見えるらしい。何度か道をたずねようとして失敗した。本当をいうと、こちらだってこの気候でわざわざコートなど着たくはないのだ。任務で赴いたのでなければ、もっとうちとける方法もあるだろうとそのときは思った。色彩のうえに色彩。ここでは鳥までが虹色だった。
「オウムだよ」
 眩しさに目を細めて、木の上を仰ぐアレンにラビが言った。アレンはくすりと小さく笑った。「知ってますよ。見たことある」「へえ、どこで」どこだったかな、とアレンは考えた。たぶん義父といっしょだった。珍品を売り歩く商人が、かごをさげているのを見た。「港で。たぶん」
 鳥が羽ばたいて濃い色の空に消えた。いつまでも残像がちらつくような色だと思った。ラビに名前を呼ばれてふりかえる。
「アレン、もう行かねえと。ジョエルを待たせてる」 それは同行するファインダーの名前だった。かれらはいま総勢6名で、この任務にあたっている。そのなかでこの島に来ているのが、アレンとラビ、そしてジョエルだった。他の3人は本土で調査を続けている。この島では2日の猶予があり、イノセンスを探しながら島を南下してあさってには合流する予定だった。ティムキャンピーのしっぽをつかんでフードにしまいながら、アレンはラビについて密林の入り口から遠ざかった。ここからさきは明日ジョエルに案内を頼む予定だった。ふとアレンはきゅうに可笑しくなって口元をゆるめる。ラビが気配にふりかえって首をかしげた。「どしたさ、アレン」「あ、いえなんでもないんです、ただ・・」アレンは景色のあざやかさに目を細めて言った。「・・だって、僕ら、名前からして、とてもここに不似合いで」
「ああ、たしかに」とラビも笑って言った。そして、口の中でそれぞれの名前を口にした。「アレン、ジョエル、ラビ。・・すっげえ違和感」 溶けるような日差しとまとわりつく湿気のなかで、まるで色のない透明な箱。アレンも真似して名前を呼んでみた。「ラビ、ジョエル、アレン」
 あっついな、とすでにコートのファスナーを全開にしたラビは、さすがにマフラーはスーツケースにしまったままだ。バタバタと団服のまえをはためかせて顔をしかめた。歩くだけで汗をかくような気候だ。しかも、味があるんじゃないかと思うくらい匂いのつよい空気が充満していた。色と匂いの洪水だった。ぬれた草と木の間をひたすら来た方へともどっていくと、まもなく遠くのほうに、バザールの人々の声が聞こえてきた。ぬるい風にのってターメリックのにおいがする。高い声。叫ぶように笑う。まるでわからない言語を話す人たちのこえは、なんだか鳥の会話のように声高の音がつながってきこえた。
「ラビ、あのひとたちの言葉、わかります?」
 人のなかに入っていくと、白い髪でなくてもいまは目立った。こんなところでフードをとったら、化け物みたいに思われるんじゃないだろうか、とアレンは思う。(もっとも、かれらはそんな目にさらされるのには慣れていたけれども) まわりじゅう黒髪で黒目。線の細い小さな体つきで、みんなが同じ顔をしているように思えた。こちらを見てなにか話している人たちは、わからないと思っているのか、それともそういう風習なのか、こちらに隠すこともなく奇異の目をむけてあきらかに自分たちのことを話している。ラビは可笑しそうにアレンを見て、それからかれらの話に聞き耳をたてた。
「“あのかわいい子はどこから来たのかしら。ほら、あのフードをかぶった!女の子みたいにかわいらしい顔をしてるよ”」
「・・・怒りますよ、ラビ」
 にらみつけると、ラビは腹をかかえながら、「ほんとほんと!」とアレンを見て笑った。「絶対にうそだ」 アレンがそのあとしばらく口をきかずにだまっていたので、ラビは宿にかえるあいだ、人々の噂話を聞いてはそれをでたらめに訳して聞かせた。だから、けっきょくアレンはラビがここの言葉を理解できるのかどうか聞きそびれた。でも、それがわかったところでラビがほんとうのことをアレンに教えるとは思えなかったのだけれど。「“天使みたいな顔”だって、アレン。あそこのご婦人がそう言ってたさ」「もう、いいかげんにしてくださいよ」
 悪ふざけも度が過ぎたころに、アレンはやっと口をひらいた。ちょっと小突くと、ラビはひと言ふた言いいかえして、あっけなく肩をすくめて口を閉じた。かれもけっきょくつまらなかっただけなのだ。かれらのあいだに沈黙がおりた。が、それはすぐにまわりの音によってうめられていった。音まで色を発している。ふと、アレンはさっきラビが言ったことを考えた。ねえ、ととなりに呼びかける。
「この土地で、天使はやっぱり白い服を着てるのかな」
 色のあふれるようなここで、天使はただの真っ白な服を身に纏うのだろうか。透けるような白い肌で。ラビはアレンの言うことを、怪訝そうな顔で聞いていた。「なんで、そんなこと訊くんさ、アレン」「なんですよ。ラビが言ったくせに」
 別に他意はなかった。ただ、なんとなく思っただけだ。鳥まで虹色のこんな国なら、天国の情景も極彩色なのかと。アレンの思い描くそこは、どこまでも白い絹のような場所だった。でも今、すべてが目にあざやかな原色につつまれている場所を見て、まぶしくて、目を開けていられない。
「ただ、天国って、虹色なのか、真っ白なのかと思ったものだから」
 でも、はじまりの庭はこんな感じかもしれませんね。アレンの言葉に、ラビはあまり気乗りしないような声で「そうさね、」と言い返した。もしアレンがふりかえれば、そのときのラビの顔に影がさしているのがわかっただろう。けれど、かれはふりかえらなかった。ちょうど目の前にあざやかな色の果物を山積みにした荷車が通ったので、アレンはそちらのほうに目を奪われて、今はなしていたこともすっかり頭からぬけ落ちてしまった。
「ラビ、見て!すごい!」

 アレンはワゴンに山積みのフルーツに目を奪われて、しばらくラビのほうをふりむかなかった。だから、ラビは相手がふりかえるまでに自分の表情を取り繕っておく時間がじゅうぶんにあった。アレンが再びラビのほうをふりかえったとき、かれはもういつものような笑顔でアレンに軽口を言う準備ができていた。
「色気より食い気、アレンってばお子様さ」 アレンはラビの言葉に顔をしかめた。「ラビだって、女の人の趣味けっこう単純じゃないですか」 言い返した言葉に、おこったふりをする。
 バザールは色で満ちていた。ここだけではない。この島のすべて。この国のすべてがそんなふうにあざやかな色彩でラビをせめた。色のあるすべてのものに押しつぶされるようで、ここにきたときから、かれはみょうな焦燥にかられてた。さっきまではただ眩しかっただけの色が、いまとなってはラビをその重圧で虐待している。それはなぜなのか、かれは何にこんなにも乱されているのだろう。色彩はかれらを押しつぶし、飲み込んで消しさろうと襲いかかる。被害妄想だ。そんなことはありえないのに。
 色が濃く、いつもよりも空が近づいて見える。雲がない。あざやかで眩しく、極彩色の鳥が飛ぶ。かれは頭をかるくふって、自分の馬鹿な想像を追いやった。頭の上に大きな木の器をのせた女とすれ違う。彼女の纏っていたピンク色の衣装を、ラビはひどく憎んだ。気が狂いそうなのは色のせいだ。この色と、匂いと、蒸発しそうな湿気と熱!
 アレン、とラビは名前を呼んだ。「アレン」
「ちがうさ、ここは。かれらの天国はオレたちとはちがう。・・・・・宗教がべつだから」
 いいながら、こんなことを話す自分はひどく滑稽だとラビは思った。笑い出しそうなほど。思いながら、かれはすでに笑っていた。怪訝そうにアレン首をかしげる。ラビは笑いながら、アレンの深くかぶったフードをばさりと落とした。うわ、と小さく声をあげて、アレンがラビをにらみつけた。かれはそれにも笑いながら、くしゃりとアレンの髪をまぜる。まわりがアレンの白髪に奇異の目を向けた。かれの髪、と後ろから女の声がする。ラビはにやりと笑ってアレンに言った。
「ばかさね、アレン。オレがほんとに言葉知ってると思った?」
「あ、やっぱり!・・じゃあさっきのも?」
「そうそう」とかれは機嫌よくうなづいた。

「ぜーんぶ、なにもかも、オレの嘘さ。・・・忘れても、いいよ」



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05/7/4