出口のない庭




 自分はしあわせだとおもって生きていて、かれも、彼女も、たくさんの自分とつながるだれかのことを愛しているとおもうのに。いつも、かれらのしあわせを願っているのに、満ちたりない気持ちになるのはどうしてだろう。いつのまにか気がつくと、自分のくらくて影のようなところばかり見つめていて、そこから先のどこへもすすめないような気がしてくるのだ。たくさんのしあわせに閉じこめられている。・・・ちがう、閉じこめているのはたぶん自分自身なのだ。僕が、ぼくを閉じこめている。
 だって、この空間は気持ちがよかったのだ。あたたかくて、やさしくて、だれも僕を傷つけない。たくさんのしあわせ。花の咲いた庭のよう。庭のなかには家があって、家のなかには家族がある。僕はそれを見つめてる。
 あたたかい家族はすきだ。僕がほしくて、かれが与えてくれたもの。そのあと一度うしなって、またかれらがくれたもの。目眩がするほど、まぶしくて、ちょっと腰がひけてしまうくらい。そしてかれが僕のところへやってきて、僕の手を引いて、さあ行こうって言う。「アレン、はやくおいで」
 みんなが僕に手をのばして、僕はそのまえで立ちすくむ。まって。・・・・だって、だれも置いてはいけないのだ。だれのことも大切なのに。かれも。彼女も。僕をあたたかくしてくれる人たち。花の咲く庭を見せてくれた人たち。僕は、ここでいいよって、言う。ここでいいよ。この場所で、じゅうぶんなんだ。
 なにもこわしたくなかった。僕をとりまくぜんぶが大事。両手にも抱えきれないくらいのしあわせを、だから、僕は摘みとらずにながめていたいのだ。こうやって。ここで。



 ラビは僕のことを両手でぎゅっとだきしめたまま、しばらくなにも言わなかった。ぴくりともせず動かない肩を見ながら、なにか僕は間違えたことをしたのだろうか、とおもう。だいすきだと言っただけだ。「好きさ、アレン!」 だから僕も。
 抱きしめられて好きだといわれると、うれしくて思わず自分もかれの気持ちにこたえたくなってしまう。すきだと思う。あらゆる人の中で、かれだけが僕をだきしめて、愛してるといってくれる。僕はかれが好き。愛してくれるから好きだ。キスをしてくれるから好きだ。・・・・じゃあ、もしそうでなかったら、と訊かれたらこまってしまう。それはだれとだれのはなし? 好きだと言ってくれるそばから、じゃあもしオレがアレンを嫌いだったら?って訊くのはおかしいと思う。愛情はかさなっているのだ。かれのと僕のがまじりあって、それでひとつなのだから。
「僕はラビがすき」
 だから、そう答えたら、かれは僕を抱きしめたまま止まってしまった。僕はしばらくのあいだ、かれの肩のところをみながら、このあたたかく素晴らしい場所をうしなってしまったときのことを考える。その、不安とかなしみの大きさを。もしもラビが僕のまえからいなくなってしまったら?
 その気持ちに僕がたどりつく前に、ラビがもぞもぞと手をうごかして、僕のあたまをさがしあてた。「アレンは、」とかれが声をだしたので、僕はうごきづらいあたまをかれのほうに傾けて、そのあとを聞いた。
「アレンは、オレのキスがすき?」
「キスもすき」
「オレは?」
「・・・・だから、すきだって、なんどもなんども言ってるのに」
 かれは僕のことをみて、じっと見つめて、それから「うん」とひとこと言った。うん、ごめんなアレン。
 どうしてそんなふうにかなしそうな声を出すのだろう、と僕は不思議な気持ちでかれのことを見つめていた。そうして、そんな僕の気持ちが顔に出ていたからなのか、ラビはいきなりにこりとわらって、僕のあたまにキスをした。
「はい、じゃあアレンもオレにおかえりなさいのちゅう、」
 え、という顔をしたら、これもまた気持ちがストレートに伝わってしまったらしく、ラビはこら、といきなり真顔になって僕の髪の毛を引っぱった。「そんな嫌そうな顔すんなって、おまえ」「だって、」と僕はかれの絡んだうでをそっとほどきながら。
「そのままおいしく頂かれそうでいやなので」
「うわ、むかつくね。ほんとにおいしく頂いちまうぞ」
 つかまえようとのばされた手を、身体をさっと引いてよけ、そのままぎゃあぎゃあと騒ぎながら廊下を歩いていたら、思いついたので言ってみた。「ねえ、そういえば、ラビはランチ食べました?」
 それを聞いてラビは眉をひそめると、僕をみつめて不満そうに言った。「色気より食い気」
「僕にそれを聞くなんてばかですよ」
 食堂に向かっていると機嫌がよくなってくる僕のうしろで、ラビがちいさくためいきをついたのがわかった。



 ラビは僕の手をひいて、花壇のむこう、石垣のうえによじのぼる。そのさきへ。うつむいたまま僕はうごくことができない。だからかれはためいきをついて僕のところへ戻り、その庭のはし、石垣のまえに座って僕のことを見つめている。僕はかれのことが好きだ。この場所で、かれはただひとり僕をつれださず、愛しているといってくれる。僕はかれのことが好き。
 世界はこんなにうつくしく、僕はいつまでも花のたえない庭でしあわせのことを考える。ここがしあわせ。ここに僕がいれば、そうしてかれらを見続けることこそが。僕はそとに背を向けている。いつだって、しあわせはここにあるのだと思っている。
 世界はこんなにうつくしいのに、というひとがいる。どうして暗いところばかり見つづけるのか、そんなことはばかげている。それはほんとうにうつくしい庭なのか。とらわれているのはだれなのだ。風にのってやってくる。僕はいつでも、それを聞いて泣きたくなり、石垣のそとをふりかえっては、そのおそろしさから目を背ける。「アレン、」とつよく腕をひかれた。ラビを見て、かれが怒っていることを知る。それはいったい、なにに対して。
 幸福にうもれたところで自分のことを選ぶのは、とても苦しくむずかしい。正しそうな道はいつでも僕のまえにある。僕の、庭に。
 ほんとうはどっちなんだろう。僕とかれ、泣き出したいのは。



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05/8/31