こわがりなゴースト 




 ミルクみたいな空、ミルクみたいな霧。おにいちゃんもミルクみたいねとその子は言ってアレンのその不自然なほど白い髪の毛に手をのばした。老人のようだ幽霊のようだとその髪の感想は人さまざまであるが、それをミルクといわれたのははじめてで。アレンは、そうかな、と嬉しそうにでも複雑なあいまいな笑顔でそれを受け取った。アレンは紳士だ。紳士であろうと心がけている。それが小さなレディーに対してでさえ、たとえばあのアクマに内蔵された魂に対してでさえそうなのだ。まるで必死に正しく、道を踏み外さないように懸命な努力をつづけているようだった。ラビにはそう見える。わっかりやすいなあと心の中で少し笑って、あきれる。といって、別にそれをいいだの悪いだのと言う気はなかったのだが。
「霧が濃くなってきたなあ」
 少女の目線に合わせるようにかがんでいたアレンがラビの間延びした声に顔をあげる。ちらりとそれを見て、そのまま首をかたむけて真上を仰いだ。空は白い。息も白い。気温はさっきよりもさらに下がっているし、雨か雪かがふるだろう。そんな空だ。こちらは頑丈なうえあたたかい上着を着込んでいるのでそうたいした問題ではない。少女もあたたかそうな厚手のコートだ。しかし顔は白かった。無理もない。ラビはその真っ黒なコートと少女の褐色の髪と血の気のない顔とを見て思った。寒いのはたぶん別の問題なのだ。それはコートでは解決されない。
「・・寒いかい?」
 大丈夫?とアレンは少女に問いかける。寒くないわ、と少女が返す。寒くないの、。でもその肩はなににかカタカタと小刻みに震えていた。
「帰らないと、雪が降るよ」
 アレンは言う。少女を見て自分の団服の釦に指をかけ、はずそうとして躊躇した。やがてそろそろと腕を下ろし、少女の肩に右手を置く。そう、それは正しい判断だった。どんな場所でも情況でも、他人の肩にかけるにはそのコートは危険すぎる。
「送っていくよ。うちに帰ろう?」
 そのうちに言い出すだろうと思っていたことを口に出されて、ラビはアレンにわからないように息を吐いた。勘はあたるほうだ。でも予感がしたのは出かけた直後で当たったのはもっと前だった。
 アレンが嫌がる少女をなだめては説得している。少女はその場を動かない。

『ふたりで買出しにいってきてね、私はみんなとここで待機しているから』

 リナリーにメモとアレンを押し付けられて宿を出たとき、ああなんかやーな予感、ともぞもぞ胸のあたりにひっかかりを覚えたのが、道すがらとおったこの教会の目の前でふと横を見て確信に変わった。
「あれ、あの子」
 うしろでアレンもそれに気づく。白い夕暮れ。昼と夜との境もはっきりしないようなこの時間この天候で、墓石に向かって少女はたったひとりだった。霧が深まり始めていたのにそうと気づいたのは、少女の燃えたつ褐色の髪と黒い礼服のせいだった。10歳かそのくらいにみえる少女は白い世界でよけいに浮き立って見え、それにまとわる雰囲気も場所が場所だけにあまり清々しいものではない。なんだか危なそうだなと、関係者ならだれでも思うぎりぎりのふちにその子はいたのだった。
 ラビはアレンをふりかえり、どうだと問いかけようとした。アレンは目を持っている。それだからラビもアレンと共に買出しに出ているのだ。
「・・・アレン?」
 しかしアレンはラビのほうを見なかった。じっとその子を見つめていた。驚いたように目が見開かれるので、はじめラビはその子がそうなのではないかと思ったのだ。でもアレンは動かずに、まるでだれか偶然に知り合いでも見つけたようにそうしているので、ラビはたまらずその名を呼んだ。
「どした?アレン」
 あそこに、と。アレンはぼそりと口の中に何かものでも詰め込まれたように聞き取りにくい声で応えた。いや、応えたつもりはなかったのかもしれない。その目はやはり少女をとらえていてはなさず、声はラビにもあまり届いてこなかった。
「・・が、いる」
 そしてアレンは誰かに背を押されたように、前のめりに墓地へと駆けていった。


「親がいたんだな」
 ことばといっしょに吐いた息が白くにごった。ラビはマフラーを口の上まで引き上げて、となりを歩くアレンを見る。すっぽりと深くフードをかぶった彼は同じく白く息を吐いて、そうですね、と苦笑った。次いでさらに聞こえにくい声でよかった、とも。そしてそのことばの適正を推し量って、彼自身がうちのめされてしおしおと背を丸める。
―ばかだな。よかったって、いったい何がよかったんだろう。
「引き止めるもんがあんだろ」
「そうですけど、でも、」
 彼はその大きすぎるフードの中で頭をふったように見えた。「そんなこと、なんの意味があるっていうんです?」
「それでも、誰もいないよかマシさ」
 ラビは、真っ黒いフードに向かって言う。ひどいですね、。フードが応えた。
「僕、ラビのそういうとこあんまり好きじゃない」
「てか、それ言っちゃうアレンもかなーりひどいさ」
 不満げに告げれば、彼はそこでやっとのこと顔をあげてラビを見た。影のさした顔には柔らかく笑みが浮かんでいる。全部を受け入れたような顔で、彼は自嘲していた。ラビに向かって、よくできました、と教師だか神父だかのように微笑むのだ。
「知ってます。だから僕、自分がいちばん嫌いなんです」
 なんだかそれは胸がちりちりと痛む笑顔だった。ラビはそこで、アレンが人知れず張り巡らした境界線を目の当たりにする。気づかないのは、それが大通りのショウウインドウみたいに透明なガラスだからだ。彼はその中に入って出てこない。出てこようと思うまで。もう声も届かない。
 ああ、それってすごく、
「アレン、それはけっこうぐさっとくるさ」
 なにがですか、アレンはわからないというように眉をひそめた。たぶんわかっていないのだろう。ラビは空に向かってつぶやく。ああ、こんなのってない。
 ラビはたまらずにアレンをふりかえり、そのフードごと、頭をうでのなかに抱いた。うわ、とアレン身じろぎをする。なんですか、なんなんですか。もごもごとラビの胸に向かって抗議をした。
「ああアレン、さっさと出てくればいいのに、お前」

 あの墓地でひとり母親の墓を見てたたずむ少女に家族がいたように。迎えに来て手を引いて、悲しそうにでもこんな場所にひとりで来た彼女を叱った姉のように。だれかそこから無理やりにでも引き出すか叩き出すかすればいい。そしてさっさとこちら側にやってくれば、さしのべられたいくつもの手に気がつくだろう。ああ、そのもう片方の手にしっかり握っている彼の手さえ放すことができれば。

 しかし彼はけしてそうしようとしないだろうことも、ラビにはわかっている。
 訳がわからない、という顔をしているアレンのフードをばさりと取り払って、無駄なあがきにもう一度だけぎゅっと彼を抱きしめてみた。
 フードの中に隠れていた彼のゴーレムが白い頭からころがりおちて、ミルクみたいな霧と雪の中で、きゅうと不満そうに一度鳴いた。



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05/5/24